佐賀県武雄市武雄町武雄5327 武雄神社の写真1
佐賀県武雄市武雄町武雄5327 武雄神社の写真2
佐賀県武雄市武雄町武雄5327 武雄神社の写真3
佐賀県武雄市武雄町武雄5327 武雄神社の写真4
佐賀県武雄市武雄町武雄5327 武雄神社の写真5
佐賀県武雄市武雄町武雄5327 武雄神社の写真6
佐賀県武雄市武雄町武雄5327 武雄神社の写真7
佐賀県武雄市武雄町武雄5327 武雄神社の写真8
佐賀県武雄市武雄町武雄5327 武雄神社の写真9
佐賀県武雄市武雄町武雄5327 武雄神社の写真10
佐賀県武雄市武雄町武雄5327 武雄神社の写真11
佐賀県武雄市武雄町武雄5327 武雄神社の写真12
佐賀県武雄市武雄町武雄5327 武雄神社の写真13
佐賀県武雄市武雄町武雄5327 武雄神社の写真14
佐賀県武雄市武雄町武雄5327 武雄神社の写真15
佐賀県武雄市武雄町武雄5327 武雄神社の写真16
佐賀県武雄市武雄町武雄5327 武雄神社の写真17
佐賀県武雄市武雄町武雄5327 武雄神社の写真18
 4.3

武雄神社  (たけおじんじゃ)


佐賀県武雄市武雄町武雄5327

みんなの御朱印

武雄神社の御朱印1
6
mitsuさん
2025年4月30日 22:00
武雄神社の御朱印2
2
てんさん
2025年4月28日 12:29
武雄神社の御朱印3
2
てんさん
2025年4月28日 12:29

武雄神社の御朱印4
2
てんさん
2025年4月28日 12:29
武雄神社の御朱印5
13
きよし16さん
2025年3月1日 20:11
武雄神社の御朱印6
14
きよし16さん
2025年3月1日 20:11

自分の御朱印

まだ御朱印が登録されていません

みんなの参拝記録

武雄神社の参拝記録1
2
218
さくらさん
★★★★★ 参拝日:2017年9月9日 00:00

武雄神社の参拝記録2
1
279
ひのえ♪さん
参拝日:2022年9月23日 00:00


武雄神社の参拝記録3
1
152
なぬなぬさん
★★★★★ 参拝日:2022年2月16日 11:24

ライラックさん
参拝日:2021年5月24日 22:28

自分の参拝記録

まだ参拝記録が登録されていません

みんなの動画

自分の動画

まだ動画が登録されていません

基本情報


※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 佐賀県武雄市武雄町武雄5327
五畿八道
令制国
西海道 肥前
アクセス JR佐世保線武雄温泉 徒歩12分
御朱印授与時間
電話番号 0954-22-2976
FAX番号 0954-22-3517
公式サイトURL https://takeo-jinjya.jp
御祭神 武内宿禰【たけうちのすくね】
武雄心命【たけおこころのみこと】
仲哀天皇【ちゅうあいてんのう】
神功皇后【じんぐうこうごう】
応神天皇【おうじんてんのう】
創建・建立
旧社格
由来 由緒
『武雄神社本紀』によると、神功皇后が三韓征伐の帰途、武雄に兵船を止め、それが御船山に化したとあります。これにより同行していた住吉神と武内宿禰が御船山の南嶽(船の艫)に鎮座し創祀されました。
而して天平7年(735年)初代宮司 伴行頼に『吾は武内大臣である。艫には住吉神がおられ、艫嶽に祀られていても畏れ多く落着かないので、幸い軸嶽に自分を祀るならば、末永くこの地に幸福が訪れるであろう。』との神託がありました。行頼は太宰府を通じて朝廷に奏請し、武内宿禰を主神に、仲哀天皇、神功皇后、応神天皇、武雄心命を合祀し北麓に奉遷し武雄宮が創建されたと記されています。
平安時代での旧社格は、九州地区の統治組織「大宰府」の府社とされ、祭礼(さいれい)に国使が参向するなど、杵島郡の鎮守として郡民の崇敬をうけていたばかりではなく、肥前に於ける名社として深く重んぜられていました。また、それらを裏付ける218通にもおよぶ古文書(こもんじょ)が現存しており、九州における神社文書の代表的な遺品とされています。
元永年中(1118~20年頃)武雄二代領主 後藤資茂が、朝夕秀麗な御船山の麓に鎮座する武雄神社を望み、築城の適地と思い、朝廷に奏請して当社を舳嶽東麓(現在地)に遷しました。
文治元年(1185年)の壇ノ浦の戦いでは、源頼朝が当社に密使を使わせ平家追討祈願をしました。平家を滅ぼした頼朝は、勝利を武雄神社の神徳によるものと感じ、後鳥羽天皇の勅使と名代の御家人を赴かせ『御教書』を送り深謝しました。
この参詣を歓迎して、武雄四代領主の後藤宗明が流鏑馬を奉納し、以来、氏子のてによって『武雄の流鏑馬』は、八百年以上ものあいだ連綿と継承されています。 また、これを機に武雄神社と源氏との関係は極めて密接となり、神社として将軍家の祈祷に当たる関東御祈祷所の使命と、社家として御家人の使命を有し、二重の立場に於いて活動することになりました。
鎌倉中期の元寇では、未曾有の国難に際し、伏見天皇より異国降伏の祈祷の『綸旨』を賜る光栄に浴するなど、国家的な存在でありました。本紀によれば、文永の役の十月二十日の夜、武雄神社の神殿から鏑矢が元軍船目掛けて飛び、元軍は逃げていったとしてあり、また、弘安の役では上宮から紫の幡が元軍船の方に飛び去って、大風を起こしたとあります。この霊験により『九州五社ノ内』と称され、九州の宗社として隆々と栄えた時代もありました。
現在では武雄の氏神社として、また樹齢三千年のご神木を祀る神社として、氏子はもとより全国各地から広く信仰を集めております。

《武雄神社公式HPより引用》
神社・お寺情報
例祭日
神紋・寺紋 未登録
更新情報 【 最終 更新者】SFUKU
【 最終 更新日時】2025/05/07 10:05:43
 
※神社やお寺など日本文化の専門企業が算出している日本唯一のオリジナルデータですので、ご利用になりたい法人様やマスコミの方々はこちらよりお気軽にご相談ください。

近くの神社・お寺

近くのお城

このエントリーをはてなブックマークに追加 フォローする

通報

※「情報が異なる」「迷惑情報」を発見された方は、通報するを押してください。

神社・お寺検索

※は必須です
 
 
*
*

 
 
※「神社・お寺両方」を選ぶと、一度に全て検索ができ大変便利です。プレミアム会員限定の機能となります。登録はこちら

サイト内全検索

最近検索された神社・お寺

孫太郎稲荷社  諏訪神社  文字庚申塔(京所通)  新宿庚申塔  石神社  牛頭天王社  須賀神社  諏訪神社  地蔵尊  中野の地蔵道標  真田照今殿(山家神社境内社)  讃良石仏(讃良寺跡)  地蔵尊  白龍大神、大力大明神  神社  庚申堂  大道教本部 天孫降臨顕彰会本部  浅間神社  鵜森稲荷神社  天手長男神社  庄下川之宮  お助け地蔵尊  勧学堂(松陰神社境内社)  諏訪神社  湧泉地蔵尊  神社(イトマンスイミングスクール内)  稲荷神社  神明宮  稲荷神社(北野天神社境内)  石宮神社(北野天神社境内)  諸神宮(北野天神社境内)  護縁神社  古代稲荷社(走水神社 境内社)  稲荷神社(堀口天満天神社境内)  和魂宮(中氷川神社境内)  お種の社(多鯰ガ池弁天宮内)  八阪神社神馬舎  向森稲荷  稲荷宮  弁天神社(氷川神社境内)  久伊豆神社(氷川神社境内)  稲荷神社(氷川神社境内)  三峯神社(氷川神社境内)  秋葉神社(天満神社境内)  砂取稲荷(氷川大明神境内)  山王神社  観音堂  近森稲荷神社  高松天神  清龍大神(塚本神社 境内)  塚本稲荷大神(塚本神社 境内)  立福寺伊佐奈伎神社  乙幡稲荷  旧瑠璃山東光寺  厳島神社  宇賀神(前鳥神社境内社)  厄除稲荷社(前鳥神社境内社)  大将軍八神社御旅所  天道神神社  三峯山大権現・金毘羅大権現(伊勢社境内社)  前地薬師堂  坊ノ在家薬師堂  柳崎薬師堂  神明社境内(御宮)  手水舎  瑞山神社  施甘露仏堂・石地蔵  荒神社  天満宮(須賀神社境内)  勉学神(神場山神社 境内)  秋葉大権現  白岡妙見社  戸原天満宮  倭四柱社(北口本宮冨士浅間神社 境内)  福地八幡社(北口本宮冨士浅間神社 境内)  仙狐稲荷神社  神社  山神社  青木稲荷(別所日枝神社境内社)  天手長男神社(常世岐姫神社境内)  大杉神社(香取神社内)  稲荷神社  青木大明神    猿田彦大神(庚申塔)(柴崎神社末社)  鹿島神社・香取神社(柴崎神社末社)  八幡神社(柴崎神社末社)  弁天堂(勝尾寺内)  手水舎  真區社(妙見社)  庚申塔(氷川町氷川神社)  湯殿神社  長谷神社  大鳥神社(須賀神社合殿)  千石稲荷大明神  弁財天神社  米ノ山大権現 八大龍王  秋葉神社  西慶山明王院  旧・一篠戻橋(晴明神社) 

何を投稿しますか?

神社・お寺検索

初めてご利用の方は、使い方をお読みください。
*は必須です
 
 
*
*

 
 
※「神社・お寺両方」を選ぶと、一度に全て検索ができ大変便利です。プレミアム会員限定の機能となります。登録はこちら
※「記録を色分け」を選ぶと、参拝や御朱印の記録が地図上で色分け表示されます。(検索に時間がかかります。ログインが必要です。)