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基本情報
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住所 |
埼玉県比企郡ときがわ町西平445 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス |
|
御朱印授与時間 |
|
電話番号 |
0493670068 |
FAX番号 |
0493670013 |
公式サイトURL |
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御本尊 |
鉄造阿弥陀如来 |
宗派 |
臨済宗妙心寺派 |
創建・建立 |
建久八年(1197) |
由来 |
・建久八年(1197)慈光寺の塔頭として、臨済宗の開祖明庵栄西の高弟栄朝によって創建され、後鳥羽天皇から勅命を受け、「東関最初禅窟」の勅額を賜っている。以来禅修行の道場として多くの名僧を輩出し、禅宗寺院としては関東最古といわれる。
・安政三年(1856)江戸月桂寺に普山した叔山禅師は、栄朝が苦労の末創建した霊山院が、年月とともに無住となりその荒廃ぶりを聞く。
霊山院の再興を願い、檀徒に再三懇願し、やっと文久三年(1863)霊山院第38世として普山。再興策として杉・桧三万本を栽植するも、明治維新の廃仏毀釈により、この菩提林は全て国有となる。動揺した檀徒が続出。叔山は開山栄朝禅師の宗風が、確固不動のものであることを示す為、入定を決意し断行した。
新編武藏風土記稿
比企郡平村
慈光寺 慈光寺を參照
塔頭靈山院 拈華山ト號ス 慶安二年寺領十三石ノ御朱印ヲ賜フ 開山榮朝始メ慈光寺ノ住職タリシ時當院ヲ創シ 其後上野國世良田長樂寺ヲ開基シテ彼寺ニ移住シ 寶治元年九月廿六日寂セリ カヽル因ニヤ今モ慈光寺ノ塔頭ナレト長樂寺ノ末ニ屬セリト云 又慈光寺ハ元三學兼帶ニシテ後今ノ如ク天台宗トナリ長樂寺モシカナレト 尙當院ハ古ヲ追テ今モ濟家ナリ 本尊釋迦ヲ安置ス
境内掲示板
霊山院の文化財
当寺は、山号を拈華山と称し、建久八年(一一九七)に臨済宗の開祖、明庵栄西の高弟栄朝によって創建された。以来禅修行の道場として多くの名僧を輩出し、禅宗寺院としては、関東で最も古い寺と伝える。明治五年(一八七二)に京都花園の妙心寺所轄となり現在に至っている。当寺には、「開山栄朝禅師の木像」「五色の払子」「インスの香炉」や徳川将軍家(五代将軍綱吉公)より拝領の「蒔絵の硯箱」など多くの寺宝を伝えているが、なかでも次の二件は県の文化財指定を受けた優品である。
県指定有形文化財 板石塔婆一基
昭和四十年三月十六日指定
ふくらみのある美しい蓮座上に、阿閦如来を示す種子ウーンを深い薬研彫りで表わし、下部中央には、「為造立浮図并千部妙経生々父母法界」「永仁四季丙申二月日」の銘文、また両側には、随求真言を刻む。
浮図は塔婆を意味し、千部とあるのは法華経一千部のことで、永仁四年(一二九六)に父母のために法華経を千部読誦し、塔婆を建立したことがわかる。
鎌倉時代の形の整った美しい板石塔婆として、本県を代表するものであり昭和一六年には国の重要美術品の認定も受けている。高二〇二センチ、幅四七センチ、厚さ八・五センチ。
県指定有形文化財 鉄造阿弥陀如来坐像一軀
昭和四十八年三月八日指定
この像は、彫刻では数少ない鉄を用いて鋳造したものである。写真でみるように、両肩にかかる衲衣をまとい、手は膝前で定印を結び結跏趺坐する阿弥陀如来である。
全体に鉄仏特有の荒ら荒らしさがあるが、素朴で古様を帯びた像形は、深い味わいをもつ。
造立年代を知る銘や資料はないが、鎌倉時代の制作と推定される。像高三四・一センチ。
昭和五十八年三月
埼玉県教育委員会
ときがわ町教育委員会
霊山院 |
神社・お寺情報 |
● 文化財
・栄朝禅師の木像 ・五色の払子
・インスの香炉 ・蒔絵の硯箱(徳川綱吉公
より拝領)
・板石塔婆(県文)
・鉄造阿弥陀如来坐像ま(県文)
他
寺頭墨書掲示
入定尊叔山禅師行録
師諱は叔山 字は碩珠 四国松山の人 丸山氏の次男として文政十二年六月三日誕生 十歳の時同国南昌寺桂州和尚を礼して祝髪す 二十歳 摂津国祥福寺専門道場に掛錫し 巨道禅師に従い七年 印可を受く 安政三年江戸月桂寺に住山す 当時霊山院は無住にて荒廃その極に達す 師の道風東都に盛んなるを聞き 門中檀徒会議をして再三にわたり懇請 文久三年(一八六三年)九月二十六日本院第三十八世として晋山す 師曰く 「十年の計は樹を植ゆるにあり 百年の計は徳をたつるにあり」と ここに一大洪業を企画し 雲嶽の中腹に当院の再興を期して杉桧苗三万余本を栽植す 然るに明治維新の政変により菩提林は全て国有となり 師一世の洪業は空しくも水泡に帰す 廃仏毀釈の嵐は吹きまくり 檀信徒は動揺し 信念を一転する者続出するを深く憂いて開山栄朝禅師の宗風が確固不動のものであることを示さんがためについに入定を決意す 明治六年(一八七三年)三月後事を門檀に託して予め塔地を定めて霊龕を造らしめ 七日忌前に霊龕に静座して大禅定に入り賜う 時に明治六年五月二十八日 寿四十五歳 塔を建て「叔山塔」という
思うに霊山院の今日あるは叔山禅師の天真の徳業の至すところなり 法孫檀信徒はこれを忘れてはならない 毎年四月二十八日には報恩の中興忌法要を営んでいる
遺偈 叔山雲静帰家路 来処還知玄所親
這裏神光亘天地 山頭月下落花辰
平成八年四月二十八日謹誌 |
例祭日 |
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神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】thonglor17
【
最終
更新日時】2024/09/22 07:42:18
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