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みんなの参拝記録
★★★★★ 参拝日:2014年3月21日 00:00
天安河原は人が足を踏み入れてはいけない場所のような気がしました。
★★★★ 参拝日:2019年12月29日 14:08
★★★★★ 参拝日:2019年8月12日 10:20
★★★★★ 参拝日:2018年6月3日 00:00
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基本情報
※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 | 宮崎県西臼杵郡高千穂町大字岩戸1073-1 |
五畿八道 令制国 |
西海道 日向 |
アクセス | |
御朱印授与時間 | 8:30〜17:00 |
電話番号 | 0982-74-8239 |
FAX番号 | 0982-74-8911 |
公式サイトURL | http://amanoiwato-jinja.jp/smarts/index/0/ |
御祭神 | 天照皇大神(あまてらすすめおおみかみ) 別名 大日霎尊(おおひるめのみこと) 手力男命(たちからをのみこと) 天細女命(あめのうづめのみこと) 外五柱 |
創建・建立 | 不詳 |
旧社格 | 村社、別表神社 |
由来 | 古事記(こじき)、日本書紀(にほんしょき)等に皇祖天照皇大神(あまてらすすめおおみかみ)は御弟素盞鳴尊(すさのおのみこと)を御避け遊ばして暫く天岩戸(あまのいわと)へ御籠り遊ばされた事を記して居ますが、当神社は其の霊蹟天岩戸(あまのいわと)を斎ひ奉る神社です。 境内社殿の背後断崖の中腹に御窟あり天照皇大神(あまてらすすめおおみかみ)籠らせ給ひし処と伝へ、古より其の御神域を御神体としてお祭り致して居ります。 社殿は東本宮(ひがしほんぐう)と天岩戸(あまのいわと)直拝の西本宮(にしほんぐう)と岩戸川(いわとがわ)の渓谷を挟み相対して御鎮座ましますが東本宮(ひがしほんぐう)関係の昌泰(しょうたい)年間の記録に天照皇大神(あまてらすすめおおみかみ)、天岩戸(あまのいわと)より御出ましの節、思兼神(おもいかねのかみ)其の御手を取りて東本宮(ひがしほんぐう)の土地に御造営の御社殿へ御鎮りを願ったと記してあります。 弘仁壬辰三歳中秋には三田井(みたい)候の遠祖、大神大太惟基(おおかみたゆうこれもと)公霊夢に恐惶して頽廃せる社殿を再興し深く其神明を崇敬したと申します。 又神社に由縁の舞楽として岩戸神楽(いわとかぐら)三十三番の古雅なる手振を宮司社家代々伝へ氏子達習ひ伝へて祭典に奉奏する外、毎年十一月下旬より二月初旬にかけ、各集落において、民家に〆かざりして終夜舞続け黎明に及びて岩戸開(いわとびら)きと称するを舞納むる慣習があります。 住時名士の此の地を訪ふ者も多く寛政の奇士高山彦九郎(たかやまひこくろう)の参詣紀行あり薩摩の歌人八田知紀(はったとものり)礼参し、水戸の烈土井上主人義秀(いのうえもんどよしひで)等八名参籠して俳句「落つるには 手もなきものよ 蝸牛(かたつむり)」を残して居ます。 又大宝の昔京都神祇宮卜部朝臣(うらべあそん)参拝の記録あり相当古くより中央に認られて居た事が考えられます。 皇室の崇敬も厚く秩父宮殿下、秩父宮妃殿下、高松宮殿下、三笠宮殿下、朝香宮殿下、常陸宮(義宮)殿下を始め皇族、侍従の代参等、度々の御参拝がありました。 |
神社・お寺情報 | 《天安河原宮》 天照皇大神、天岩戸へ御籠り遊ばれた時に、八百萬神は天安河原へ神集神議りになった事を古事記等に記してありますが、天岩戸神社より500メートル川上の此の天安河原は其の御相談の場所であると伝へます。此の河原の一角に「仰慕窟(ぎょうぼがいわや)」と称し間口40メートル、奥行30メートルの大洞窟があり、全国から願事がかなうとの信仰があります。 《天岩戸》 御神体の天岩戸の洞窟は、西本宮から谷を挟んで反対の壁の中腹にあります。西本宮拝殿の裏側に天岩戸が見える天岩戸遥拝所があり、神職がご案内というかたちでお連れ致しております。(公式HPより) 【御朱印】 初穂料:4種類(天岩戸神社・天安河原宮・兼務神社)各300円、御朱印帳4種類 各1,000円 |
例祭日 | 春季大祭(西本宮祭) 5月2~3日 天岩戸神楽祭り 11月3日 |
神紋・寺紋 | ![]() |
更新情報 | 【
最終
更新者】かつ丸 【 最終 更新日時】2022/07/03 11:04:34 |