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基本情報
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住所 |
埼玉県久喜市鷲宮6-16-1 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス |
JR宇都宮線東鷲宮 徒歩15分 |
御朱印授与時間 |
|
電話番号 |
0480580211 |
FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御本尊 |
釈迦如来坐像 |
宗派 |
曹洞宗 |
創建・建立 |
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由来 |
迦葉院は、当初西大輪村の出来野に創立された真言宗寺院で、享保20年(1735)、住職に黙山元轟を招き、曹洞宗の寺院として現在地に再興されました。黙山は、出羽国増田村(現秋田県横手市)の出身で、東昌寺(茨城県五霞町)等の住職を務めた高僧でした。
新編武藏風土記稿
葛飾郡西大輪村
迦葉院 禪宗山城國鷲峰源光庵末 天王峯鷄足山ト號ス 本尊十一面觀音ヲ安セリ 當寺古ハ庵室ナリシヲ默山元轟中興シテ一寺トナセリ 元轟ハ寶曆十三年十一月一日化ス 其碑境內ニアリ 天明四年四辻大納言公享卿ノ撰スル銘文アリ 中興開基ハ村民兵右衞門埼玉郡騎西町ノ民忠兵衞ノ二人ナリ 兵右衞門ハ白石氏ニシテ元文五年三月九日死シ法名寶鏡院自覺榮賢ト稱ス 忠兵衞ハ齋藤氏ニテ享保二十年正月二十五日死ス 不二院一翁空山ト追稱ス 秋葉社 天王社 白山社 山門 宇治黃檗山ノ山門ヲ模シテ造レル所ナリト云 鐘樓 寶曆八年鑄造ノ鐘ヲカク
境内掲示板
迦葉院
所在地 久喜市鷲宮六-十六-一
迦葉院は、曹洞宗の寺で、鶏足山迦葉院と称し、本尊は釈迦如来坐像(木造)である。
迦葉院はもと加性院と称し、慶安元年(一六四八)西大輪村字中島の地に建立された真言宗の小院で、出羽国湯殿山本達寺の末寺であった。その後加性院は水害その他で寺運が傾き、寺院の維持も困難な状態となっていたが、享保十九年(一七三五)下総国山王山(現茨城県五霞村)の東昌寺住職黙山元轟は、西大輪村の白石兵左衛門・騎西町の斉藤忠兵衛の協力を得て、水害をうけやすい古利根川河畔の中島の地から新たに現在地へ寺地を移して再興した。このとき寺号を鶏足山迦葉院と改め、山城国鷹峰源光庵の末寺となった。
元文元年(一七三六)には、衆徒の浄財により壮大な僧堂を建立し、以来、迦葉院は雲水の修練道場の中心として著名になった。
昭和六十二年三月
久喜市教育委員会 |
神社・お寺情報 |
境内掲示板
久喜市指定文化財
迦葉院関係資料
指定年月日 昭和三十八年八月十日
所在地 久喜市鷲宮六 - 十六 - 一
迦葉院関係資料は、曹洞宗鶏足山迦葉院に伝わる江戸時代以来の古文書資料を中心とした三百点余りの資料群である。内容は、迦葉院の歴代住職や寺院経営に係る文書、曹洞宗寺院の本末制度に係る文書など、迦葉院の歴史や曹洞宗寺院としての活動を知ることのできる資料が多い。
また、迦葉院を復興し、曹洞宗の名僧として著名な黙山元轟にまつわる資料が豊富に遺されている。黙山和尚は、天和三年(一六八三)、出羽国増田村(秋田県横手市)に生まれ、十四歳の時に出家し、江戸、京都など各地の曹洞宗寺院で修行を積んでいった。後に「坐禅黙山」と称され、質素倹約と実践につとめた黙山は多くの人々から慕われ、迦葉院の復興のため迎えられた。しかし、下総国東昌寺(茨城県五霞町)の住職でもあった黙山和尚は、総寧寺(千葉県市川市)との間で勃発した本末論争の中で、僧籍をはく奪され、一時追放されてしまう。追放処分後、黙山和尚の弟子たちによる幕府への陳情運動の結果、黙山和尚の主張が一部認められ、名誉回復し、十一年間に及ぶ処分を解かれて迦葉院へ復帰した。その後、黙山和尚は弟子の教導に尽力し、宝暦十三年(一七六三)八十一歳で亡くなった。
迦葉院関係資料には、黙山和尚の書簡や東昌寺と総寧寺の本末論争に係る文書、生前の発言や行いを伝える語録、その生涯をまとめた年譜などが遺されており、黙山和尚の事績を今日に伝えている。
令和六年三月二十五日
久喜市教育委員会 |
例祭日 |
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神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】thonglor17
【
最終
更新日時】2025/03/22 15:11:49
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