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基本情報
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住所 |
広島県広島市西区天満町9-7 |
五畿八道 令制国 |
山陽道 安芸 |
アクセス |
広島電鉄本線天満町 徒歩1分 |
御朱印授与時間 |
|
電話番号 |
082-293-4964 |
FAX番号 |
|
公式サイトURL |
|
御祭神 |
【主神】
菅原道真命(すがわらのみちざねのみこと)
【配神】
〔東座〕中将殿命(ちゅうじょうどののみこと)
〔西座〕吉祥尼<北の方> |
創建・建立 |
文政5年1月24日(西暦1822年2月15日) |
旧社格 |
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由来 |
【頒布-リーフレット】天満宮由緒記
由来
昔毛利の殿様が広島城を建築する際、普請小屋を建て住みついたのが、沼田郡(ヌタゴウリ)広瀬新開小屋村→小屋新町です。
その頃、町内にたびたび火事が起こり、焼けた家は数え切れないほどでした。
町の人たちはとてもこわがって、安心して暮らすことができないありさまでした。
町役人綿谷七左衛門知孝(ワタヤシチザエモントモタカ)(白井進家)氏と、田中嘉三次幸福(カソウジユキトミ)氏は心配して、天満宮(天神様ともいう。御祭神菅原道真)のお力で、このわざわいをはらいのけようと天明8年(1788年)に天満町と町名をかえました。
そして殿様にたのんで、天満宮を町の守り神として、文政5年(1822年)正月24日、天満小附近におまつりしたのです。
しかし地理的に悪く文政10年(1827年)7月24日(9月14日)、今の地へおまつりしました。
昭和20年(1945年)8月6日、原子爆弾によってお宮の建物は焼けてしまい、宮司は御神体を天満小の防空壕に、9月には天満南町に仮のお宮をつくっておまつりしました。
その後昭和21年(1946年)8月御本殿、昭和29年(1954年)8月24日拝殿を再建いたしました。
現在、教育の神様として有名な天満宮が、なぜ火防せの目的で建てられたのでしょうか?
御祭神管公(菅原道真)が、雷(雷神つまり火の御子)よけの神様だという信仰があるからです。
薨去(コウキョ)の年、雷様が京都の町中にたくさん落ち、各所を炎上させたうえ、ついに政敵藤原時平も落雷のため、即死するに至ったのです。
世にこの天変地異は、管公の雷のたたりであるとされました。
後世、火雷神のたたりを除けるため、火雷天神として厚く祀り、たたりがないようお祈りしたのです。
北野にて御霊会のおこなわれたことは、これによるものです。
また、火雷神は管公の使者であって、雷神自体ではないとされています。
かのごとき震災を降(クダ)すのは、「世に不信の人々が多いので、そういう人々には、雷神に命じてこらしめるから心のよい者は、心配のあまり苦しまずともよい。」つまり天満宮はえん罪(無実の罪ばらし)の神としてお祀されたのです。
以後関ヶ原の戦いも終わり、江戸時代元禄の世となると世の中も平和になり、読・書・算の寺子屋ができ、なかでも読・書が発展して書の神教育の神となったのです。
氏神広瀬神社には、数十の御祭神が祀られていた中より当時すでに教育の神といわれていた天満宮を、当町にお迎えし、火防せの目的で建てたのは、鎮魂を意味していたからです。 |
神社・お寺情報 |
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例祭日 |
8月25日 例祭 |
神紋・寺紋 |
梅鉢
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更新情報 |
【
最終
更新者】管理者
【
最終
更新日時】2021/11/08 20:06:37
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