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基本情報
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住所 |
愛知県蒲郡市形原形原町東上松 |
五畿八道 令制国 |
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アクセス |
名鉄蒲郡線形原 徒歩5分 |
御朱印授与時間 |
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電話番号 |
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FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御本尊 |
阿弥陀如来 |
宗派 |
浄土宗 西山深草派 |
創建・建立 |
永正七年(1510年) |
由来 |
天平年中に行基菩薩自ら小堂を建立して直作の弥陀を安置し行基山と云う。永正年中、松平光重の四男松平實長得度し永正七年この寺創立。【宝飯郡誌より】 ➡︎ 永正年中とは1504年から1521年の間の指す元号になり、ここに出てくる松平光重は松平宗家三代”松平信光”の五男であり、大草松平氏の初代になります。文明年間(1469-1487年)、松平信光は岡崎城を攻め、城主であった西郷頼嗣を屈服させます。岡崎城への進出を各自なものにする為に、五男”光重”に西郷頼嗣の娘を嫁がせ、岡崎城主として分出させます。この頃、大草松平氏は形原にも領地があったとみられ、由緒に出てくる様に、光重の四男が出家、實相院を建立してます。この實相院が建立されたころは、松平氏は、今川氏親が伊勢新九郎(北条早雲)と共に松平宗家本城である岩津城を大群で攻め込まれています。岩津城が落城したのか、安祥松平氏の活躍などで今川氏が撤退したのかは定かではないですが、宗家筋が岩津松平氏から安祥松平氏に代わるなど、まだまだ松平氏自体が安定していなかった頃ですね。さらには、安祥松平氏と大草松平氏の惣領争いもあったとか。また、松平光重の位牌は同じ形原にある光忠寺に残っています。
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神社・お寺情報 |
三河海岸大師 二番札所 三河新四国 五十五・五十六番札所 (旧)三河新四国 三番札所 |
例祭日 |
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神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】tomomitchan
【
最終
更新日時】2019/09/15 20:58:55
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