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基本情報
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住所 |
埼玉県さいたま市桜区道場3-15-1 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス |
JR武蔵野線西浦和 徒歩23分 |
御朱印授与時間 |
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電話番号 |
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FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御祭神 |
菅原道真公 |
創建・建立 |
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旧社格 |
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由来 |
境内掲示板
天神菅原道真公を祀神の道場天満宮
江戸時代後期に編纂された「新編武蔵風土記稿」によると、このあたりに、昔、大伽藍(大きな寺院)がありましたが、保元の乱(一一五六)の兵火のために焼失しその後建久年中(一一九〇年代)畠山次郎重忠が当地を領していたとき、土中から観音像を得、これがもとの大伽藍の本尊であったものと考え、守護仏とし、一宇の道場を営んだということです。
これが、この天満宮の北側にある金剛寺の草創(はじまり)といわれ、当地の地名「道場」もこれに由来するといわれています。
天満宮も古くから金剛寺の境内の一角にあったものと考えられています。天満宮の社殿の正面の飾木に金剛寺の紋所「いちょう」と天満宮の紋所「梅鉢」が表示されており、金剛寺が天満宮に深くかかわっていたことがうかがえます。
天神菅原道真公像には、「元禄第三庚年(一六九〇)金剛寺住僧寛映修造」とあります。
明治時代まで、拝殿前にいちょうの老樹巨木がありました。乳房形状のものが垂れ下がっており、それを削って煎じて飲むとお乳の出がよくなるといわれ、近郷からの参詣者で賑ったとのことです(島崎豊作が聞いた古老の話)。天満宮にある文久二年(一八六二)の絵馬に、このいちょうの老木が描かれています。このいちょうは明治四十五年(一九一二)の台風で倒れてしまいましたので、乳房状のものを切り取って天満宮に保存しています。昭和の初期まで多くの人に利用されたとのことです。
天満宮は、学問の神であり、安政四年(一八五七)の寺子屋風景を描いた絵馬が掲げられています。
天満宮
平成一〇年二月吉日 |
神社・お寺情報 |
境内掲示板
さいたま市指定有形民俗文化財
天満宮絵馬二面
昭和六十二年三月三十一日指定
天満宮は、もと金剛寺の境内にあった御堂で、幕末に二枚の大絵馬が奉納され、保存良く、今日に伝わっています。
一枚は寺子屋の図で、高さ六十五センチメートル、幅百三十三センチメートル。右上に天神(菅原道真)を、左下に師匠を配し、道具箱類に至るまで寺子屋の授業風景を細やかに描いています。寺子屋を描いた数少ない絵馬であり、教育史の資料としても貴重なものです。
また、絵馬の裏面には、安政四年(一八五七)五月、寺子屋の師匠であった吉岡範善が奉納したことが記されています。範善はこの地の人で、四十年間にわたり自宅で寺子屋を開いていました。生家には、弟子たちが建立した頌徳碑が建てられています。
もう一枚は、ここ天満宮の境内の様子を描いたもので、高さ七十五センチメートル、幅百二十二センチメートル。文久二年(一八六二)四月、伊勢参詣のお礼に奉納されたものです。当時の天満宮の境内を知ることができる貴重な資料となっています。
平成二十二年十一月
天満宮
さいたま市教育委員会 |
例祭日 |
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神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】thonglor17
【
最終
更新日時】2023/12/30 18:09:48
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