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基本情報
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住所 |
埼玉県春日部市西宝珠花77 |
五畿八道 令制国 |
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アクセス |
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御朱印授与時間 |
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電話番号 |
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FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御祭神 |
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創建・建立 |
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旧社格 |
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由来 |
合祀紀念碑
明治四十年十二月十九日天神社香取社八雲社淺間社之四社
合祀於當境内改称寶珠花神社新築費寄附者連名如左 |
神社・お寺情報 |
燈籠 文化五戊辰正月(1808年)
燈籠 元治二年乙丑正月(1865年)
境内掲示板
江戸川と西宝珠花
江戶川は、江戸時代の寛永年間(一六二四~一六四四年)に、下総台地を切り開いてつくられた人工の河川である。この江戸川の開削によって、中世以降の宝珠花鄉は、東西に分断され、西宝珠花村が誕生した。
江戸川の舟運により、西宝珠花は河岸場としてにぎわいをみせた。明治時代になると、蒸気船による貨客輸送が開始され、河岸場の周辺には、酒屋、料理店、旅館、呉服問屋などが建ち並び、江戸川流域でも有数の寄航地として繁栄した。
その後、昭和二十二年に発生したカスリーン台風の被害により、江戸川堤防の改修工事が計画され、村の大部分が移転の対象となった。この大規模な移転事業は昭和二十六年に始まり、昭和二十八年に完了した。移転には、「曳家」という手法が用いられ、二百五十戸の住宅や役場、学校、寺社などの多くが、そのままの状態で移動した。こうして西宝珠花の町並みは、現在の地へと移った。
平成三十年三月
春日部市教育委員会
春日部市指定有形文化財
宝珠花神社扁額
春日部市西宝珠花七七番地
平成十四年三月二十六日指定
宝珠花神社に伝わる扁額で、寸法は縦九一センチ・横五六センチです。銅版製で、表に「三國㐧一山」、裏に「武州粕壁住鋳懸師/駒田文吉恐惶謹造/天保四年癸巳正月吉日/不二登山一百二十一度/當所氏子中/行者禄行三志書」とあります。これにより、この扁額は天保四年(一八三三)西宝珠花の人々が富士登山一二一回を記念して奉納したもので、「三國㐧一山」は富士山を意味し、行者禄行三志の書体を粕壁の鋳掛師が鋳造したものであることが分かります。
禄行三志は、近世後期鳩ヶ谷宿出身の不二道指導者小谷三志(一七六五~一八四一)の行名です。富士塚と共に当地域の富士信仰の隆盛を示しており、著名な民間信仰の指導者との関連を示す貴重な文化財です。
平成十四年九月
春日部市教育委員会
境内碑
神與新成紀念碑
敬神崇祖は我が大和民族の傳統精神であり
寶珠花神社には四柱の大神様が奉斎せられ其の一柱
が祇園で名高い八坂大神様であります毎年七月七日
より十五日まで神幸祭が執行せられ惡除善迎の祈願
のもとに町内は多大なる賑わいを極めて今日に至っ
ております時恰も本年は今上陛下の即位の禮大嘗祭
が古式ゆかしく執行はれる祝賀の年に當り小供神輿
は年經て破損甚しく記念事業として總代會長加藤政
吉氏が幾度か役員會を開催して協議の結果神輿の新
成に一決致しました
従って氏子一同相互信義至誠力を戮せ一筋に誠を捧
げたればこの程神輿が新成七月七日昔日を忍びて奉
祝祭並に神幸祭を盛大裡に齋行十載一遇至誠實に嘆
美に堪えずここに大神の宏大なる御神徳の光被を永
遠に仰ぐと共に氏子崇敬者の赤心を稱え後世に傳ふ
べく宮司録して記念となす
平成二年十一月吉日建之 寶珠花神社宮司 中村富夫謹書 |
例祭日 |
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神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】ロビン
【
最終
更新日時】2021/11/02 18:01:55
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