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基本情報
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住所 |
埼玉県比企郡ときがわ町五明1404 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス |
JR八高線明覚 徒歩32分 |
御朱印授与時間 |
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電話番号 |
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FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御本尊 |
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宗派 |
曹洞宗 |
創建・建立 |
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由来 |
新編武藏風土記稿
比企郡五明村
圓通寺 醫王山ト號ス 禪宗曹洞宗派 入間郡龍ヶ谷村龍穩寺末山ナリ 相傳フ 往古田村麻呂東夷征伐ノ時當寺ニ詣テ軍ノ勝利ヲ祈願セシコトアリ 其頃ハ大寺ニシテ寺領モ若干アリシト サレト田村麻呂東夷ヲ征セシハ延曆年中ノコトナリ 當寺ノ開山僧王泉ハ永正七年二月五日示寂トストイヘハ年代遙ニ違ヘリ 其妄說ナルコトヲ知ルヘシ 此寺古ハ天台宗ニテ正法山三寶院ト號セシカ 古戰爭ノ世ニ遇テ衰微セシヲ 慶長年中龍穩寺十五世ノ住僧朝谷是暾中興シテ今ノ宗ニ改ム 此僧ハ同キ七年十一月廿四日化ス ソノ後慶安二年寺領五石五斗ノ御朱印ヲ賜ヘリ 本尊十一面觀音ヲ安ス 外ニ藥師ノ像アリ 是ハ行基菩薩ノ作ト云 又本堂ノ背後ニ銅佛ノ彌陀長二尺許ナルヲ安置ス 此像ノ銘ニ寬正四年癸未四月十五日作之大旦那藤原朝臣□□大工實吉トアリ 朝臣ノ下ハ經宜ト見ユレト滅シテ定カナラス 寺僧ノ話ニ此像ハ下靑鳥村ノ城主高瀨彈正高廣ト云シ人ノ寄附ナリト云 サレト下靑鳥村ニ城壘ノアリシコト云モ傳ヘサレハ寺僧ノ說疑フヘシ 此彌陀ノ傍ニ正觀音一躯アリ 聖德太子ノ作ナリ
鐘樓 此鐘ハモト小川村彌陀堂ニ掛シモノナリ 故アリテ安永八年爰ニ移セリト云 諏訪白山荒神稻荷合社 藥師堂 塔頭 華藏院
石柱
六道四生三界萬靈等
毎自作是念以我令衆生
得入無上道速成就佛身
當山草創尋往古延暦年中台家惠秀法印開闢之霊地也奥院結界金胎両部大日如來富士淺間大菩薩十一面観世音山神鎭守不動明王勸請 号 五大智明峯正法嶽三寶院圓通寺延暦□年田村將軍東夷征伐之砌先詣此山誓願則守統一面此社令納古記有之其後盛衰在是寛正元年濟家王泉徳公和尚□□門振宗風依是 大檀那藤原朝臣大江實吉銅阿彌陀佛一躰令納佛体之後鑄付之文字寛正四癸未四月十五日作之右性名有之其頃五十五石寺領有之處歴年暦仍治乱及盛衰寺領住僧共如有無然處文祿年中曹洞之音□正観和尚當山往之時 龍穏十五世朝谷是暾大和尚勸請傳法爲上祖其身二代相成三征海岸龍鯨和尚至嗚呼又々及衰微自是両牌在久山寅良和尚住之時至 當御代御三代 從 征夷大將軍任先䂓之例五石五斗 御朱印賜下其後四世中興 自正卍國傳和尚無退轉傳法繁榮今至山僧于五世鳳山國林和尚依之檀家信心之施主両人勸萬靈等造立古今爲成追福回向□古記列記之者也
于時 天保六乙未年十一月吉祥日 |
神社・お寺情報 |
不許葷酒入山門 天保五午年正月造立十五世代(1834)
境内掲示板
町指定有形文化財
銅像阿弥陀如来立像
昭和五十三年七月二十五日指定
円通寺に伝わる本尊仏で本来は善光寺式三尊の中尊で両脇侍を従えていたものと考えられます。像の高さは六十一センチメートルで螺髪は無丈、手は刀印を結び全体に素朴でおおらかな作風を伝えています。
像の背面には「寛正四年癸未四月十五日作之、大旦那藤原朝臣經宣大工実吉」の銘文があり、一四六三年に製作されたことや、施主、作者などが解る貴重な資料です。
今和四年二月 ときがわ町教育委員会 |
例祭日 |
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神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】thonglor17
【
最終
更新日時】2024/09/22 10:42:30
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