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基本情報
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住所 |
埼玉県児玉郡美里町中里475 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス |
JR八高線松久 徒歩11分 |
御朱印授与時間 |
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電話番号 |
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FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御本尊 |
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宗派 |
曹洞宗 |
創建・建立 |
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由来 |
境内碑
曹洞宗安養山満正寺の由来
所在地 美里町大字中里字神明ヶ谷戸四七五
寛文元年辛丑十一月(一六六一年)美里町大字白石威音山光厳寺二世雪厳素立大和尚は此の地に満正寺を開山され、その折、山腹を崩して平にし庫裡を造り隠居寺とされました。雪厳素立大和尚は寛文七年六月十七日示寂されました。本尊は、三蔵阿弥陀如来、庫裡本堂は麦捍葺き屋根でしたが、昭和二十七年本堂の屋根を瓦にしました。本寺光厳寺は元は臨済宗でありましたが、猪俣能登守邦憲、亡父菩提のため少林寺より和尚を招き、中興開基して今の曹洞宗に改めました。創立より児玉町高柳の長泉寺末、寄居町末野少林寺末、の経過を見て美里町白石光厳寺末となり現在に至っております。荒神社(天和三年癸亥・一六八三年)は、三世柏堂竜松和尚の建立、満正寺持ちで、明治三十三年に改築、現在に至っております。満正寺本堂は三百年の歳月を経、老朽化して保存に耐えられない状態になったので、平成元年三月十九日普門寺住職、光厳寺住職と相談して、区長、前役員の主導で建設対策委員会を創り協議を重ねました。平成二年四月二十九日、檀信徒の総会を開催し、全員の賛成を得て、本堂の建設、建設委員、常任委員を決定しました。建設に要する資金は住職・建設委員一体となり浄財勧募に尽力し、また、檀信徒の協力によって集まりました。阿弥陀三尊は光厳寺に納め、新たに本尊釈迦如来をお迎えし、役員の会議を幾度となく開催し、平成三年六月三十日本堂落慶の運びとなりました。
平成三年六月吉日 常任委員会撰文
林雲石書
新編武藏風土記稿
那賀郡中里村
滿正寺 禪宗臨濟派白石村光嚴寺末 安養山ト號ス 本尊三尊彌陀ヲ安ス 開山雪嚴素立寬文七年六月十七日示寂 荒神社 |
神社・お寺情報 |
境内碑
三寳大荒神之碑
三賞大荒神の由来
抑々当安養山満正寺境内ニ安置セラルル三寶大荒神ハ人皇五十一代平城天皇ノ御宇大同元(八〇六)丙戌年弘法大師此ノ山ニ遊歴シテ錫ヲ留ルコト数日或ル夜ノ夢ニ三面六臂ノ異人忽然トシテ眼前ニ顕レ告テ曰ハク我ヲ此ノ山ニ安置セシムレバ百年ノ後當ニ養蠶ノ守護タルベク又福穂ヲ施與シ一切ノ障礙ヲ除却スベシ云々ト大師愕然トシテ夢醒メヌ則チ霊木ヲ選テ一刀ヲ下ス毎ニ焼香三拜シテ御長五寸ノ尊像ヲ彫刻シテ以テ此ノ山ニ安置ス所謂夢中現レ給フ御尊客是ナリ
昭和五十九年四月一日
美里村中里根岸芳太郎妻イシ建之
石工 森藤長七 |
例祭日 |
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神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】thonglor17
【
最終
更新日時】2025/02/01 23:29:10
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