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基本情報
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| 住所 |
岐阜県岐阜市梶川町14 |
五畿八道 令制国 |
東山道 美濃 |
| アクセス |
名鉄各務原線田神 徒歩28分 |
| 御朱印授与時間 |
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| 電話番号 |
0582647793 |
| FAX番号 |
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| 公式サイトURL |
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| 御本尊 |
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| 宗派 |
日蓮宗 総本山身延山久遠寺 |
| 創建・建立 |
天文3年 1534年 |
| 由来 |
竹中家ゆかりの三光稲荷社
境内奥に『三光稲荷社』があり、山号である 「三光山」は三光稲荷に因んでいます。現在妙照寺があるこの場所は、1600年(慶長 5年)に岐阜城の城主であった織田秀信公から妙照寺が寄進を受けたもので、その際にはすでに『三光稲荷社』はこの場所にありました。
織田秀信公からの寄進状には「旧竹中屋敷を寄進する」との記載があり、この場所が竹中家の屋敷蹟であったことが判り、寄進を受けた際にすでに敷地奥にあった「三光稲荷社」は竹中家が屋敷神として祀っていたことが推察されました。
寄進を受けて以来現在に至るまで、当山が四百年余お祀りし護って参りました。
稲荷様は、稲を象徴する穀物・農業の神様であり、現在は主に「商売繁昌」を祈願致します。また『三光稲荷社』は、竹中家を守護し、戦国武将名軍師・竹中半兵衛(重治)が戦勝を祈願し武名を挙げたことも想像に難くないことから、半兵衛の頭脳明晰な才覚にあやかり、特に「学業成就」「合格祈願」 「諸願成就」等の祈願がされ、霊験あらたかと信仰を集めています。 |
| 神社・お寺情報 |
妙照寺と芭蕉との
1688年)
芭蕉がこの寺を訪れたのは、 6月8日です。(9月に元禄と改元後に当山第7世となる泰禪院日賢」回を 「己白」(きはく)、別に「秋芳軒」「宜ました。(※古文書の資料により、貞享5 は当山第5世円光院日応大徳(中興の開山時代でした)
日賢上人と芭蕉とは俳誌を通じて親交が深く、 その縁で当山に1ヶ月間滞在しました。
その間、当地の有力者や俳諧・風流人に招かれて数多くの名句を残しています。
日賢上人は元禄6~11年(11月1日寂)の住職であり、芭蕉は元禄7年の役ですから同年齢であったことが分かります。
包系元禮7年10月12日 51才没日餐元排11年11月1日 55才没
境内の句碑にある、 『やどりせむ
あかざの杖になる日まて』 芭蕉
の句は、到着の時に詠んだ挨拶の句です。
昭和51年秋、岐阜県俳句作家協会が建立したもので、字は俳人加藤椒邨先生の筆で、碑の後ろにある老梅は芭蕉の手植えの梅と言い伝えられています。 ①本堂
建立年代が不明でしたが、古文書等の資料によって、寛文2年(1662年)であることが分かりました。初めの形は、向拝(ごはい)が無く屋根も柿(こけら)葺きでした。瓦への質替は享保4年(1719年)の記録があります。
※平成大改修にて下ろされた東西の鬼瓦にその年号と作者の名が書かれており本堂前東西に展示されています
②庫裡(くり)
現存する県内の神社・仏閣の中で最古の建造物であると、県教育委員会の調査の結果が報告されています
(岐阜県文化財調査報告書・岐阜県の近世社寺建築(昭和55年度))
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| 例祭日 |
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| 神紋・寺紋 |
未登録
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| 更新情報 |
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最終
更新者】クウガ
【
最終
更新日時】2026/04/13 17:02:49
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