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★★★★★ 参拝日:2021年11月13日 00:00
★★★★★ 参拝日:2022年11月19日 14:30
湖東三山の紅葉の名所
★★★★★ 参拝日:2016年11月28日 00:00
★★★★★ 参拝日:2016年11月21日 00:00
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住所 | 滋賀県犬上郡甲良町大字池寺26 |
五畿八道 令制国 |
東山道 近江 |
アクセス | 近江鉄道多賀線多賀大社前 徒歩59分 |
御朱印授与時間 | (3/16~12/8)8:30~17:00 (12/9~3/15)8:30~16:30 |
電話番号 | 0749-38-4008 |
FAX番号 | 0749-38-4388 |
公式サイトURL | http://www.saimyouji.com/ |
御本尊 | 薬師如来 |
宗派 | 天台宗 |
創建・建立 | 承和元年(834年)三修上人創建 |
由来 | 琵琶湖の東、鈴鹿山脈の西山腹に位置する。寺伝によれば平安時代初期三修上人の創建という。三修上人は、修験道の霊山として知られる伊吹山(滋賀県・岐阜県の県境にある)の開山上人と伝えられる半ば伝説化した行者である。
伝承によれば承和元年(834年)、琵琶湖の西岸にいた三修は、湖の対岸の山に紫の雲のたなびくのを見て不思議に思った。そこで神通力を用いて一気に水面を飛び越え、対岸に渡ると、今の西明寺のある山の中の池から紫の光がさしていた。三修がその池に祈念すると、薬師如来、日光菩薩、月光菩薩、十二神将が出現したという。 三修に帰依していた仁明天皇はこの話を聞くと、その地に勅願寺として寺を建立するように命じた。そして三修はそれらの像の姿を刻んで祀った、これが当寺のはじまりであるという。寺のある場所の地名を「池寺」というのは、この伝説に基づいている。承和3年(836年)には仁明天皇により寺領が寄進され、諸堂が建築されたという。「西明寺」の寺号は前述の紫の光が西の方へさしていたことによる。 上述の承和3年建立を立証する史料はない。しかし、現存する本堂、三重塔は鎌倉時代の本格的な建築であり、この頃には天台宗の寺院となり、かなりの規模を有していたものと思われる。当寺の本尊の薬師如来は比叡山延暦寺の根本中堂に祀られている本尊の薬師如来と向き合うように祀られているという。 やがて寺領は2千石、17の諸堂に僧坊3百を有する大寺院になっていた西明寺だが、元亀2年(1571年)、延暦寺の焼き討ちを行った織田信長は、近江国にある比叡山傘下の天台寺院をも焼き払うことを命じ、西明寺も信長の家臣である丹羽長秀と河尻秀隆によって焼き討ちの運命にあった。しかし、寺僧の機知により、山門近くの房舎を激しく燃やして、全山焼失のように見せかけたため、山奥に位置する本堂や三重塔は焼失をまぬがれたという。 この兵火の後は荒廃していたが江戸時代に入り、天海、公海や望月友閑が再興させた。さらに徳川将軍家などの庇護を受けて徐々に復興し、近代に至っている。 境内は名神高速道路によって分断されている。境内は紅葉の名所となっている。 2020年、本堂の薬師如来像前にある西柱と南柱に菩薩立像が4体ずつ柱絵が描かれていたことが赤外線調査により判明。絵は飛鳥時代に描かれたもので、仏教絵画として日本最古級にあたる。この柱絵の存在により、寺の創建時期が伝承より大きくさかのぼる可能性がある。 |
神社・お寺情報 | 湖東三山
別称:池寺 入山料:大人600円 中学生300円 小学生200円 札所:西国四十九薬師霊場・第32番 近江湖東名刹二十七箇所 |
例祭日 | |
神紋・寺紋 | 未登録 |
更新情報 | 【
最終
更新者】ポチョムキン 【 最終 更新日時】2022/05/01 16:35:45 |