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参拝日:2024年7月25日 00:00
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★ 参拝日:2023年10月6日 14:18
参拝日:2023年5月2日 00:00
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住所 | 京都府京都市下京区堀川通七条上ル花園町70 |
五畿八道 令制国 |
畿内 山城 |
アクセス | JR京都線京都 徒歩4分 |
御朱印授与時間 | |
電話番号 | 0753710075 |
FAX番号 | 0753718509 |
公式サイトURL | https://www.koshoji.or.jp/ |
御本尊 | 阿弥陀如来 |
宗派 | 真宗興正派 本山 |
創建・建立 | 1212(建暦2)年 |
由来 | 興正寺は、親鸞(1173~1262)を開祖とする真宗興正派の本山。承元の法難(建永の法難)により越後国へと配流された親鸞聖人が、1211(建暦元)年に勅免をうけた後、翌年に一時帰洛した際に山科の地に一宇を草創したことに始まる。興正寺という寺号は、順徳天皇(1197~1242)によって名づけられたと伝えられ、日本に仏教をひろめた聖徳太子の事績にちなみ「正しき法を興し、さかえさす」(正法を興隆する)との願いが込められている。 第7世了源(1295~1336)の時代に寺基を山科から京都東山の渋谷へと移し、寺号も佛光寺と改名。佛光寺の寺号は、御本尊の阿弥陀如来像が光明を放ったという霊験にもとづき後醍醐天皇(1288~1339)から賜ったと伝えられている。佛光寺の教勢は飛躍的に拡大し隆盛を極めた。 室町時代、第14世蓮教(1451~1492)は、本願寺の蓮如(1415~1499)と歩みを共にし、佛光寺を弟に譲り、再び山科の地に多くの門徒と共に興正寺を再建。その後は本願寺と歩調を合わせ、度重なる移転にも常に行動を共にする。 第17世顕尊上人(1564~1599)の時代、1591(天正19)年に興正寺は本願寺とともに現在の京都堀川七条の地へ寺基を移した。お堂が隣接して建てられているのも本願寺との深い関係を示している。 一方、江戸時代を通じて興正寺は西本願寺の末寺だったが、本山として独立しようとする気運も根強く、第27世本寂(1808~1877)の時代の1876(明治9)年に一派本山として独立。 1902(明治35)年、火災により、いわゆる「ひとつ御堂」と称せられた本堂をはじめ大半の堂舎を失う。残されたのは1774(安永2)年建立の鐘楼や1848(嘉永元)年建立の経蔵等僅かな建造物だった。 翌年に再建の議が決し、1912(明治45)年に御影堂が、1915(大正4)年に阿弥陀堂が完成。 |
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更新情報 | 【
最終
更新者】けんぢ 【 最終 更新日時】2022/06/29 06:15:19 |