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参拝日:2023年12月2日 11:35
★★★★ 参拝日:2018年12月8日 00:00
駐車場は少しあったと思います。
参拝日:2023年11月12日 00:00
★★★★★ 参拝日:2017年11月26日 00:00
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住所 | 京都府京都市東山区粟田口三条坊町69-1 |
五畿八道 令制国 |
畿内 山城 |
アクセス | 京都市東西線東山 徒歩4分 |
御朱印授与時間 | |
電話番号 | 0755612345 |
FAX番号 | 0755612345 |
公式サイトURL | www.shorenin.com/ |
御本尊 | 熾盛光如来 |
宗派 | 天台宗 |
創建・建立 | 天養元年(1144年) |
由来 | [ 青蓮院門跡の由緒 ]
起源は伝教大師最澄による「青蓮坊」: 最澄(伝教大師)が比叡山延暦寺を開くにあたって、山頂に僧侶の住坊を幾つも作りましたが、その一つの「青蓮坊」が青蓮院の起源であると云われています。伝教大師から円仁(慈覚大師)、安恵(あんね)、相応等、延暦寺の法燈を継いだ著名な僧侶の住居となり、東塔の主流をなす坊でした。 門跡寺としての青蓮院の始まり: 平安時代末期に、青蓮坊の第 12 代行玄大僧正(藤原師実の子)に鳥羽法皇が御帰依になって第 7 王子をその弟子とされ、院の御所に準じて京都に殿舎を造営して、青蓮院と改称せしめられたのが門跡寺院としての青蓮院の始まりであり、行玄が第一世の門主である。その後明治に至るまで、門主は殆ど皇族であるか、五摂家の子弟に限られていた。 青蓮院の歴代門主: 青蓮院が最も隆盛を極めたのは、平安末期から鎌倉時代に及ぶ、第三代門主慈圓(藤原兼実の弟)の時です。慈圓は四度天台座主をつとめ、日本人初めての歴史哲学者として不朽の名著「愚管抄」を残し、新古今時代の国民的歌人として「拾玉集」も残した。 慈圓は、当時まだ新興宗教であった浄土宗の祖法然上人や、浄土真宗の祖親鸞聖人にも理解を示し、延暦寺の抑圧から庇護した。それ故、現在でも青蓮院は、浄土真宗との関係は深い。親鸞聖人は、上記慈圓門主のもとで得度したため、青蓮院は同宗の聖地の一つとなっており、親鸞聖人の得度の折、剃髪した髪の毛を祀る植髪堂が、境内北側にある。 17 代門主の尊円法親王は伏見天皇の第 6 皇子で、名筆家として知られ、和風唐風を融合した尊円法親王の書風は「青蓮院流」と呼ばれ、江戸時代に広く普及した和様書風「御家流」の源流でもある。 室町時代には後に室町幕府第 6 代将軍足利義教となる義圓が門主を務め、また衰微期の本願寺が末寺として属し、後に本願寺の興隆に尽くした蓮如もここで得度を受けている。 粟田御所 仮御所としての青蓮院: 江戸時代の天明八年( 1788 )に、大火によって御所が炎上した時に、後桜町上皇は青蓮院を仮御所としてご避難されました。庭内の好文亭はその際には御学問所として使用されたものです。 また、青蓮院は粟田御所と呼ばれており、「青蓮院旧仮御所」として国の史跡にも指定されています。 ―青蓮院 HP 「青蓮院門跡の由緒」より抜粋― |
神社・お寺情報 | ●札所等 近畿三十六不動尊霊場第19番 神仏霊場巡拝の道第115番(京都第35番) 粟田御所 天台宗三門跡 ● 文化財(寺宝) ・不動明王二童子像(仏画)(国宝) ・兜跋毘沙門天立像(重文) ・金地著色浜松図(重文) ・後光厳院宸翰消息(重文) その他 多数 |
例祭日 | |
神紋・寺紋 | 未登録 |
更新情報 | 【
最終
更新者】むっふぅ 【 最終 更新日時】2023/09/26 19:46:40 |