みんなの御朱印
自分の御朱印
まだ御朱印が登録されていません
みんなの参拝記録
★★★★ 参拝日:2018年7月30日 00:00
★★★★ 参拝日:2025年2月1日 00:00
拝観料600円
★★ 参拝日:2021年3月29日 00:00
★★★ 参拝日:2021年3月29日 00:00
自分の参拝記録
まだ参拝記録が登録されていません
みんなの動画
自分の動画
まだ動画が登録されていません
基本情報
※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 | 奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺北1-1-2 |
五畿八道 令制国 |
畿内 大和 |
アクセス | JR大和路線法隆寺 徒歩18分 |
御朱印授与時間 | 9時〜16時15分(季節により変更有り) |
電話番号 | 0745752106 |
FAX番号 | 0745742956 |
公式サイトURL | www.chuguji.jp/ |
御本尊 | (伝)如意輪観音 |
宗派 | 聖徳宗 |
創建・建立 | 7世紀前半 or 推古天皇十五年(607) |
由来 | [ 中宮寺の沿革 ] 中宮寺は聖徳太子の母穴穂部間人皇后の御願によって、太子の宮居斑鳩宮を中央にして、西の法隆寺と対照的な位置に創建された寺である。 その旧寺地は、東方三丁ほどのところにあったとされ、発掘調査の結果、南に塔、北に金堂を配した四天王寺式伽藍配置であったことが確認された。また、その出土古瓦から、法隆寺は僧寺、中宮寺は尼寺として初めから計画されたものと思われる。国宝菩薩半跏像(伝 如意輪観音)はその金堂の本尊であり、天寿国曼荼羅は その講堂本尊薬師如来像の背面に奉安されたものと伝えられている。 平安時代には寺運衰退し、僅かに草堂一宇を残して本尊のみといった状態であったが、鎌倉時代に入って信如比丘尼の尽力により、天寿国曼荼羅を法隆寺宝蔵内に発見して中宮寺に取り戻すなど、復興は見たものの、往時の盛大さには比べようもなかった。 戦国時代に入って火災にあい、法隆寺東院の山内子院に避難し、旧地への再建ならず、その状態が続いていたが、後伏見天皇八世の皇孫尊智女王を住職に迎え、以来尼門跡として、次第に寺観を整えたのが今の中宮寺である。 宗派は戦後、法隆寺を総本山とする聖徳宗に合流しましたが、大和三門跡尼寺の随一として、 その伝統を伝えている。 ー 「中宮寺拝観のしおり」より抜粋 ー |
神社・お寺情報 | ● 文化財(寺宝) ・木造菩薩半跏像(国宝) ・天寿国繡帳残闕(国宝) ・紙製文珠菩薩立像(重文) ・紙本墨書瑜伽師地論(重文) その他 |
例祭日 | |
神紋・寺紋 | ![]() |
更新情報 | 【
最終
更新者】よっしぃ 【 最終 更新日時】2022/04/16 14:49:49 |