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参拝日:2024年11月26日 19:50
★★★★★ 参拝日:2024年8月10日 12:41
★★ 参拝日:2023年7月10日 09:52
参拝日:2023年5月17日 13:14
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住所 | 青森県青森市栄町一丁目4−26 |
五畿八道 令制国 |
東山道 陸奥 |
アクセス | 青い森鉄道線筒井 徒歩26分 |
御朱印授与時間 | |
電話番号 | 017-741-4848 |
FAX番号 | |
公式サイトURL | http://aomori-suwajinja.org/index.html |
御祭神 | 武御名方神 (たけみなかたのかみ) 猿田彦神 (さるたひこのかみ) |
創建・建立 | |
旧社格 | 郷社 |
由来 | 諏訪神社は、第66代一条天皇の御代の寛弘年中(1004~1012 平安時代中期)左近衛中将藤原實方朝臣の勧請により、もと造道村浪打の地に鎮座したのに始まる。 寛永8年(1631 江戸時代初め)青森開港に際し、藩命をうけた開港奉行森山彌七郎が、開港の守護神として堤川中洲に遷座申し上げた。爾来津軽歴代藩主を始め民衆の崇敬篤く、元禄年中まで青森五社の筆頭として崇められ、藩主たびたび参拝をしたという。7月27日は御魂祭と称して神輿を市中渡御していた。 明治5年3月、松森町、博労町、堤町、莨町、塩町、堤川橋から茶屋町まで及んだ大火により結構なる社殿を始め、風致ある境内、鏡の井、逆手の桜などと称する古井名樹も瞬間の火に烏有に帰した。その後現在の栄町の地に仮拝殿を建てて遷座し、明治40年には総欅流造の本殿を再建、大正10年には総檜入母屋造の豪壮な幣拝殿を再建した。 明治6年村社に列せられ、明治44年には神饌幣帛料供進社に指定され、次いで昭和4年11月郷社に列せられている。大東亜戦争末期、昭和20年7月28日青森大空襲により、本殿、幣殿、拝殿、神庫、宝物、什物などことごとくが戦火に帰した。 戦後の混沌とした世情の中で、昭和24年合浦公園にあった招魂堂(明治25年建立 1892)の払下げをうけ、まず拝殿を復興した。昭和47年12月には本殿を造営、参集殿は昭和52年10月新築落成。平成16年には御鎮座一千年の佳節を迎え、記念事業として7月脇殿を造営、9月幣殿を増築し、盛大に奉祝大祭が斎行された。 |
神社・お寺情報 | 御朱印初穂料 お気持ち 社務所に巫女さん常駐。 |
例祭日 | 七月二十七日 |
神紋・寺紋 | 未登録 |
更新情報 | 【
最終
更新者】zx14r 【 最終 更新日時】2023/05/03 20:36:37 |