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★★★★ 参拝日:2019年4月21日 12:39
★★★★ 参拝日:2021年9月5日 10:19
★★★★★ 参拝日:2021年9月5日 10:14
★★★ 参拝日:2018年11月18日 00:00
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住所 | 茨城県水戸市八幡町8-54 |
五畿八道 令制国 |
東海道 常陸 |
アクセス | JR常磐線偕楽園 徒歩20分 |
御朱印授与時間 | |
電話番号 | 029-221-5327・029-226-8854(昼間のみ) |
FAX番号 | 029-224-0185 |
公式サイトURL | http://www.mitohachimangu.or.jp/ |
御祭神 | 誉田別尊(ほんだわけのみこと) 息長足日売尊(おきながたらしひめのみこと) 姫大神(ひめのおおかみ) |
創建・建立 | 文禄元年(西暦1592年) |
旧社格 | 県社 |
由来 | 当宮は文禄元年(1592)佐竹義宣公によって創建されました。 義宣公は天正十八年(1590)に水戸城主の江戸氏を滅ぼし、翌十九年に常陸太田より水戸に居城を移し、その翌年の文禄元年(1592)に氏神として崇敬していた常陸太田鎮座の馬場八幡宮より、八幡大神を水戸城内に奉斎しました。のち八幡小路(現在の北見町)を聖域と定め、慶長三年(1598)に御本殿(国指定重要文化財)を建立し、水府総鎮守の社と定めました。 ―慶長七年(1602) …佐竹氏が秋田へ移封され水戸は徳川家の所領となる。― 徳川時代の元禄七年(1694)には二代藩主光圀公の寺社政策の命により、那珂西村(現城里町那珂西)へ御本殿始め移遷されましたが、宝永六年(1709)三代藩主綱條公の時代になり、正神主田所修理清澄をはじめ氏子等の請願により那珂西から再び水戸に遷座され、現在の白幡山神域に鎮斎されました。 なお、水戸に再遷座される際、白鶴一羽が舞い降りて神域を卜定したと伝わります。 以来、水戸藩主代々の崇敬社で農・工・商の神、また厄除・子育て・戌亥年生まれの守護神として信仰されています。 天正19年(1591)に水戸城主、佐竹義宣公により水府総鎮守として鎮斎される。 現御本殿(国指定重要文化財)は慶長3年(1598)に水戸城西八幡小路(現在北見町)に建立された。 元禄七年(1694)徳川二代藩主光圀公の命により、那珂西村(現城里町那珂西)へ移遷。宝永六年(1709)三代藩主綱條公の時代、氏子等の請願により、那珂西から再び水戸に遷座され、現在の白旗山の神域に鎮斎された。 この際、白鶴一羽が舞い降りて神域を卜定せしめたと伝わる。 |
神社・お寺情報 | 古くから武の神、戦の神として称えられ、厄除け、諸難除、八方除、星除けなどの除災・魔除けに加え、選挙やスポーツの必勝祈願、受験の合格祈願にも御神威著しい。 また子育ての神としても信仰を集め、子授け、安産祈願に始まり新生児の命名、初宮詣や虫除け、七五三など子供の無事成長、一家の繁栄の祈願にも霊験あらたかであると伝わる。 戌年、亥年生まれの一代の守り神としても広く崇敬されている 本殿(国指定重要文化財) 御葉付公孫樹(国指定天然記念物) 拝殿及び幣殿、随神門、神楽殿(水戸市指定有形文化財) 烈公御涼所(茨城百景) 以上随時公開。 以下、原則非公開。 黒韋肩浅葱糸威筋兜(茨城県指定有形文化財) 陣太鼓、黒漆金銅装八角神輿、木造狛犬(水戸市指定有形文化財) 烏帽子形兜(佐竹義宣公奉納・社宝) 矢の根五郎絵馬(社宝) 神楽面(10面、社宝) |
例祭日 | 1月1日 歳旦祭 1月4日 湯清め神事 成人の日 はねつき神事・破魔弓神事 1月25日 初天神祭 2月節分 節分祭追儺式 2月17日 祈年祭 4月15日 例大祭 6月30日 夏越大祓式 5月下旬・7月上旬 アジサイまつり 旧6月7日 田植祭 旧8月16日 流鏑馬祭 10月下旬・11月下旬 七五三祭・菊まつり 11月23日 新嘗祭 12月31日 師走大祓式 毎月1日と15日 月次祭(※但し、元日、4月15日を除く) |
神紋・寺紋 | 十六菊 |
更新情報 | 【
最終
更新者】まっきー 【 最終 更新日時】2023/06/10 21:21:57 |