みんなの御朱印
51
sugarさん
2024年12月1日 10:45
70
神追人さん
2024年11月17日 00:00
24
気ままな御朱印記録さん
2024年10月26日 18:30
25
920さん
2024年8月14日 00:00
54
おがおが1262さん
2023年12月7日 00:00
80
いっしゅんさん
2023年9月23日 00:00
自分の御朱印
まだ御朱印が登録されていません
みんなの参拝記録
2
292
2
252
自分の参拝記録
まだ参拝記録が登録されていません
みんなの動画
自分の動画
まだ動画が登録されていません
基本情報
※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 |
茨城県常総市水海道天満町2487番地 |
五畿八道 令制国 |
東海道 下総 |
アクセス |
関東鉄道常総線水海道 徒歩9分 |
御朱印授与時間 |
|
電話番号 |
0297-23-4849 |
FAX番号 |
|
公式サイトURL |
|
御祭神 |
菅原道真公(すがわらみちざねこう) |
創建・建立 |
延元4年~正平23年(西暦1339~1368年) |
旧社格 |
|
由来 |
当神社の創祀は定かではないが、社伝によると、桓武天皇延暦16年(799年)坂上田村麿が征夷大将軍として、東国征定のため下総国森谷(守谷)に軍を進めて来た時、当地方の武人足葉広武なる者七千余騎の軍勢を率い、田村麿の陣内に奇襲をかけ、田村麿の軍を駆け散らしたと云う。
田村麿は思いがけない奇襲にやむ得ず兵を引くが、その前方は大海のような大沼があり、それ以上進むことが出来ず、後からは足葉軍が怒涛の如く責め寄せてくるし、田村麿大いに困り果て、これが一生の終りかと観念したが、その時突然前の大沼、不思議にもにわかに沼水が逆立ちに巻き上り、その中から一人の姫が現れ「如何ニ田村麿」と声をかけたと云う。
田村麿馬を降りて「不思議ヤ例ナラヌ女此ノ沼ヨリ出デタリ何者ナル」と尋ねれば「我ハ是此の処に跡ヲタレシ梅明神ノ霊ナリ。
汝此度勅ヲ請ケ東夷征伐ニ来ル所ニ計ラザリキ、今急難ニ遇イリ、我今汝ニ見エ、急難ヲ救ワンタメニ現ワレタリ・此水筋ヨリ西ニ向ヒテ沼ヲ超エタランニ、水膝ヲ過グマジキ」と云われた。
田村麿大いに感激し神勅に身をまかせようと立ち上がれば姫は何処ともなく姿を消してしまった。
田村麿郎党を伴い沼に入れば神勅に疑いなく、水は膝を越すこともなく西に向かって三里程進むと丘に辿り着いた。
そこは今井と云う所であった。
田村麿一行は危うき急難を逃れることが出来たと云う。
これは梅明神の御加護であると感謝をし、その丘に祠を建て梅明神(紅梅姫)を祀り戦勝を祈願したと云う。
つまり田村麿が上陸した丘が現在の天神社の境内であり、天神社の前身である。
その後南北朝時代、後村上天皇の御代(1340年頃)に菅原道真公の神霊を勧請し合祀して、社名も「天神社」と改称し、現在に至る。 |
神社・お寺情報 |
旧水海道村の鎮守。 正式名称は「天神社」であるが、社号碑や神社の資料などでは「天満宮」を使用。
覆殿に納められた本殿は、市の重要文化財に指定されている。永禄九年(1566)に再建されたものが現存。
御朱印の「天満大自在天神(てんまんだいじざいてんじん)」とは、御祭神の菅原道真公を神格化したもの。 |
例祭日 |
|
神紋・寺紋 |
梅鉢
|
更新情報 |
【
最終
更新者】水戸のミツル
【
最終
更新日時】2023/11/04 16:04:00
|
※神社やお寺など日本文化の専門企業が算出している日本唯一のオリジナルデータですので、ご利用になりたい法人様やマスコミの方々は
こちらよりお気軽にご相談ください。
近くの神社・お寺
近くのお城
神社・お寺検索
※は必須です
※「神社・お寺両方」を選ぶと、一度に全て検索ができ大変便利です。プレミアム会員限定の機能となります。登録は
こちら。