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★★★★ 参拝日:2016年11月17日 00:00
★★★★ 参拝日:2020年10月28日 18:32
夜参拝。 境内社が大量登録されたおかげで9ヶ月ぶりの参拝。 川口市の総鎮守。 キューポラの街からタワマンの街になった川口市を神様は見守ってきたんだね。 で、この後、京浜東北線と埼玉高速鉄道線の差について書き始めたんだけど、異常に長くなりそうなので割愛する。誰か読みたい人、います?
★★★ 参拝日:2020年1月20日 18:08
夜参拝。 今宵も懺悔と感謝。 最近、寺と神社がくっついてるような箇所に参拝が続き、なぜかお寺さんのことをここに書いている俺。 呼び方が分からないので神社でいう鈴の役割をしてる金属のことを「鐘」と書いてたんだ。 で、今日、ふと思い立って調べてみたら、あの鐘のようなものは「鰐口」っていうんだな。 このサイトの住人には常識中の常識なのかも知れないけど、俺、初めて知ったよ。 あのゴ~ンという音色が気持ちいい鐘、あれは鰐口と言うんだって、俺。 憶えたよな?俺。 と言いつつ、明日の朝には十中八九忘れているであろう俺だった。
★★★★★ 参拝日:2019年3月19日 00:00
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住所 | 埼玉県川口市金山町6-15 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス | JR京浜東北線川口 徒歩7分 |
御朱印授与時間 | 9:00~12:00,13:00~17:00 |
電話番号 | 048-222-2342 |
FAX番号 | |
公式サイトURL | http://kawagutijinja.sakura.ne.jp/ |
御祭神 | 素戔嗚尊(すさのおのみこと)
菅原道真公(すがわらのみちざねこう) 宇迦之御魂命(うかのみたまのみこと) 保食命(うけもちのみこと) 金山彦命(かなやまひこのみこと) |
創建・建立 | 天慶年間(938~947年) |
旧社格 | 県社 |
由来 | 西暦940年頃に創建されたと伝えられており、「氷川社」と称していた。 江戸時代には除地を定められ、「氷川大明神」と尊称された。 明治時代には、町内の神社を合祀して、社名を「川口神社」とし、川口市の総鎮守として埼玉県の県社に列せられた。 現在、川口市十三町会氏子を始め、五十万市民の崇敬神としてお祭りしております。
境内掲示板 川口市總鎮守 川口神社 川口市金山町六十五番地 【御由緒】 当社はもと「氷川社」と称し、川口町の鎮守氏神として古くから領主・住民の崇敬厚く、しばしば社殿の御造営や神宝の奉献があつた。創祀についての記録は荒川の氾濫等により失はれてゐるが、天慶年間(西暦九四〇年頃)足立郡司判官代武蔵武芝の創建とも伝へ、暦応二年(一三三九)および天文四年(一五三五)の板碑、室町初期の古神像、江戸期の棟札数点等がある。 江戸時代には川口は徳川幕府の御料所となり、当社社地は除地(免税地=氷川免)と定められ、「氷川大明神」と尊称した。八代将軍徳川吉宗公は、産米を増し飢饉を防止するため見沼を開発し、見沼代用水路を完成させたが、芝川落口の門樋工事の際、幕府勘定役井澤弥惣兵衛為永の配下杉島貞七郎保英は当社に工事の成功を祈願し、享保十八年(一七三三)、難工事を見事に完成させた。この神恩に感謝して神前に奉納した神鏡は、市指定文化財となつてゐる。 維新後の明治六年に村社に指定されたのち、川口町内の天神社、稲荷社(三社)、金山社を順次合祀して、同四十二年に社名を「川口神社」と改めた。このうち金山社は、川口の伝統基幹産業である鋳物業の守護神として篤い信仰があり、その旧社殿(現・八雲社)は、旧川口町最古の神社建築として、市の文化財に指定された。 昭和八年市制施行に伴ひ、川口市の総鎮守となり、同十年には県社に列せられた。同十五年、皇紀二千六百年記念事業として境内施設を整備拡充した。 大東亜戦争後は、国の管理を離れて神社本廳所属の宗教法人となり、中央・幸栄・並木地区十三町内の氏子を始め、六十万市民の崇敬を受けて今日に至つてゐる。 【御祭神】素戔鳴尊 菅原道真公 宇迦之御魂命 保食命 金山彦命 【境内神社】 金山神社 梅ノ木天神社 杉山稲荷神社 八雲社 第六天社 金刀比羅社 石神井社 川口護國神社 【主要祭日】 例大祭(十月十九・二十日) 祈年祭(二月十七日) 新嘗祭(十一月二十三日) 金山神社例祭(五月第二土曜日) 大歳祭=おかめ市(十二月十五日) 【文化財】 神鏡(享保十八年)=市指定有形文化財 八雲社社殿(宝永四年)=市指定有形文化財 日露戦争凱旋橋の碑(明治三十九年)=市指定史跡 境内掲示板 川口神社 川口神社は、社伝によると平安時代の天慶年間、武蔵国足立郡司武芝によって、武蔵一の宮大宮の氷川神社より分祀勧請したものと伝えられています。当社はもと、氷川大明神と称し、昔から領主や民の崇敬をあつめてきました。江戸時代には、産土神として西宝山大慈院延命寺を別当寺とし、また、名主宇田川家によって社殿の再建や修造がなされました。 明治42年2月26日、鋳物師の神として字塚越に祀られていた金山権現社を合祀して、「川口神社」となりました。11月19日は金山神社の祭礼で、当時「裸参り」や「寒参り」と称して、鋳物職人たちが器量の上達を願い、裸や素足で参拝しました。 *川口宿と鋳物業の発祥 鎌倉時代の大納言源雅忠の娘が書いた『とはずがたり』には、現在の川口にあたる「小川口」の情景が描かれています。当時このあたりは、鎌倉街道中道が通っていました。そして江戸時代、日光御成道が整備され、岩淵宿につぐ川口宿が成立しました。 江戸時代後期の『遊暦雑記』には、「この駅の南うら町筋に釜屋数十軒あり、但し鍋のみ鋳家あり、釜のみ作る舎あり・・・」と書かれており、当時現在の裏町通り沿いに鋳物屋がならび、鍋・釜・鉄瓶といった日用品を製造していた様子が記されています。川口鋳物は、室町時代末期にはすでに行われていたようですが、鋳物に適した砂や粘土がとれたこと、この街道や荒川と芝川の舟運、江戸とい |
神社・お寺情報 | 神職が常駐 出張祭典可 駐車場 お祓い・ご祈祷 自動車のお祓い 神前結婚式 ホームページあり
末社 ・金山神社 ・梅ノ木天神社 ・杉山稲荷神社・第六天社 ・石神井社 ・八雲社 ・金刀比羅社 ・川口護國神社 ・浅間神社(富士塚) 境内掲示板 川口市指定有形文化財 (工芸品) 川口神社の神鏡 (昭和52年5月10日指定) この和鏡は、享保18年(1733)に見沼の新田開発を担当した杉島貞七郎保英により工事成功の祈願が成就したため、川口神社(氷川大明神)に奉納されたものです。これは中村因幡守の作とされており、大きさは直径30㎝、厚さ0.5㎝です。 八代将軍吉宗に命じられた幕府の勘定役井沢弥惣兵衛為永は、紀州流の土木工法を用いて見沼溜井の新田開発に成功しました。そして享保16年(1731)、その産米を江戸に運ぶための見沼通船掘及び門扉を新設し、杉島貞七郎保英は、為永の配下でその工事を担当しました。保英は川口宿の生まれで、産土神である氷川大明神に工事の成功を祈願したのです。 境内碑 神徳無涯 川口神社はもと氷川神社とたゝへてあかめ來を金山神社また天神社稲荷神社を合せまつりて今の社號に改まれり氏子の業務は〇々なれと敬神の志は同さまに深く〇かへまつりてこそひあ〇はかりて碑をたつる〇を〇〇て〇と〇ろこふまゝに 正三位勲一等男爵千家尊福 境内碑 埼玉縣北足立郡川口町村社川口神社々掌竹本太郎吉氏の母竹本あき子本年齢八十四歳にして敬神の真心を起し産子の賛成の女其寄附者百七十名の有志の人々と力を協せて産土神の廣前に水盤并舎又井戸及舎をも新築せり其功績を賞め稱へて 竹本の直くなるはゝのい○をしは 千代○〇つせも名こそのこらめ 八十あまり四とせのはゝを産土の 神やま○らむ百とせまても 大正四年十一月 七十七翁正八位源朝臣重浪 |
例祭日 | 例大祭 10月19・20日 おかめ市(大歳祭) 12月15日 |
神紋・寺紋 | 左三つ巴 |
更新情報 | 【
最終
更新者】龍太郎 【 最終 更新日時】2023/08/10 17:41:09 |