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みんなの参拝記録
★★★★ 参拝日:2019年8月17日 09:57
★★★★★ 参拝日:2019年3月7日 00:00
★★★★★ 参拝日:2019年2月3日 00:00
節分の豆を買いました。自宅に帰り子供と豆まきをして食べました。とても美味しい豆でした。
★★ 参拝日:2018年11月4日 00:00
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基本情報
※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 | 埼玉県和光市白子2-15-50 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス | 東京メトロ有楽町線地下鉄成増 徒歩12分 |
御朱印授与時間 | |
電話番号 | 048-477-7533 |
FAX番号 | |
公式サイトURL | https://shirako-kumanojinja.wixsite.com/kumajin |
御祭神 | 伊弉冉尊、建御名方命、速須佐男命、速玉男命、事解男命、倉稲魂命 |
創建・建立 | |
旧社格 | 旧村社 |
由来 | 熊野神社は、白子の鎮守さまとして栄えてきた。発祥は不明であるが、社伝によると、およそ一千年前といわれている。
祭神は、伊弉冉尊、建御名方命、速須佐男命、速玉男命、事解男命、倉稲魂命とされ、また、境内神社として、富士嶽神社、国平神社がある。 中世、熊野信仰は、全国的に武士や民衆の間に広まった。熊野那智大社(和歌山県)に伝わる「米良文書」の中の「武蔵国檀那書立写」には、多くの武蔵武士とともに「しらこ庄賀助、庄中務丞」の名があり、和光市域の白子に居住していた領主にも、熊野信仰が伝えられていたことがわかる。(埼玉県・和光市掲示より) 熊野神社 御由緒 和光市白子二~一五~五〇 ▢御縁起(歴史) 天平宝字二年(七五八)、朝廷は我が国に渡来した新羅の僧たちを武蔵国に移して新羅(志楽木)郷を作った。白子の地名は、この新羅から転訛したものといわれており、戦国時代の文書の中には、「白子郷」の名が見える。 熊野神社は、白子の鎮守さまとして栄えてきた。発祥は不明であるが、社伝によるとおよそ一千年前といわれている。 祭神は、伊弉冉命、健御名方命、速須佐男命、速玉男命、事解男命、倉稲魂命とされ、また境内神社として、富士嶽神社、國平神社がある。 中世、熊野信仰は、全国的に武士や民衆の間に広まった。 熊野神社が、いつの時代にこの地に祀られたかは想像の域を出ないが、熊野信仰の本拠である紀伊国(現和歌山県)那智山に伝わる那智中世文書の中にある天文年間(一五三二 - 五四)ごろの「武蔵国檀那書立」の中に「しらこ庄 賀物助 庄 中務丞」という記述があり、当時の白子ではかなり熊野信仰の布教が進んでいたと推測される。 |
神社・お寺情報 | 新編武藏風土記稿
新座郡下白子村 熊野宮 瀧ノ側ニアリ 村ノ鎭守ナリ 本社一間ニ九尺 上屋ハ二間ニ三間 前ニ鳥居ヲ建ツ 鎭座ノ年歷詳ナラス 稻荷社 熊野宮ノ左ニアル小祠ナリ 別當不動院 不動堂ノ側ニアリ 神龍山ト號ス 天台宗入間郡小仙波村喜多院ノ末ナリ |
例祭日 | 熊手市12月7日、熊野神社祭10月第1日曜日 |
神紋・寺紋 | ![]() |
更新情報 | 【
最終
更新者】thonglor17 【 最終 更新日時】2024/02/18 17:51:06 |