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基本情報
※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
| 住所 |
埼玉県久喜市吉羽358 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
| アクセス |
東武伊勢崎線久喜 徒歩19分 |
| 御朱印授与時間 |
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| 電話番号 |
048ー768ー4123 |
| FAX番号 |
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| 公式サイトURL |
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| 御祭神 |
菅原道真公 (すがわらみちざねこう) |
| 創建・建立 |
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| 旧社格 |
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| 由来 |
吉羽天満宮(よしばてんまんぐう) 本殿の内陣には木造天満天神像が安置されており、本殿外壁の雷神風神をはじめとした唐子遊びの彫刻は見応えがあります。
境内掲示板
天神社 御由緒
久喜市吉羽三五七(吉羽字前)
□御縁起(歴史)
鎮座地の吉羽は、古くは太田荘に属する村の一つであり、群馬県勢多郡富士見村の萩林庵が所蔵する鋼造阿弥陀如来立像の応永三十四年(一四二七)五月十五日付背面銘に「武蔵国太田荘南方吉羽鄉」と見えるのが、その地名の初出と思われる。吉羽では、村全体で鎮守として干勝八幡鷲宮合社(現千勝神社)を祀ってきたが、これとは別に、村組などで祀る神社もあった。
当社は、吉羽のうちの「下宿」の人々が組内の守護神として祀ってきた社で、『風土記稿』吉羽村の項にも密蔵院持ちの社の一つとしてその名が載る。 創建についての伝えはないが、下宿で一番の旧家である折原栄家は当主で二○代ほど続いていることから考えると、吉羽郷と呼ばれていた時代に、同家の祖たちが開発した際に勧請したものではないかと思われる。そのためか、住民の信仰は厚く、社格は無格社であったが、明治末期に政府の合祀政策が強く進められた時期にあっても、村社の千勝神社へ合祀するといった声は全く聞かれなかった。
なお、神仏分離まで別当であった密蔵院は、真言宗の寺院であったが、明治三十三年に焼失し、同四十年に妙智寺と合併して、高輪寺となった。一方、当社では明治二十九年に社殿の大規模な修復を行ったが、その際、一時千勝神社に仮殿を作って遷座していた。現在社殿の北東にある建物は、その時仮殿として使われていた建物である。 |
| 神社・お寺情報 |
出張祭典可 駐車場 お祓い・ご祈祷 神道式の葬儀 花・植物が見どころ |
| 例祭日 |
1月1日 歳旦祭、2月25日に近い日曜日 梅花祭、7月25日 に近い日曜日 例祭、10月25日に近い日曜日 秋季祭 |
| 神紋・寺紋 |
未登録
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| 更新情報 |
【
最終
更新者】ロビン
【
最終
更新日時】2022/01/25 17:40:51
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