埼玉県さいたま市中央区下落合5-4 氷川神社の写真1
埼玉県さいたま市中央区下落合5-4 氷川神社の写真2
埼玉県さいたま市中央区下落合5-4 氷川神社の写真3
埼玉県さいたま市中央区下落合5-4 氷川神社の写真4
 3.0

氷川神社  (ひかわじんじゃ)


埼玉県さいたま市中央区下落合5-4

みんなの御朱印

氷川神社の御朱印1
3
まーぼーさん
2024年11月18日 00:00
氷川神社の御朱印2
93
バルタさん
2023年5月14日 00:00
氷川神社の御朱印3
124
keijiさん
2020年3月9日 23:44

氷川神社の御朱印4
65
豆助さん
2020年3月2日 00:00
氷川神社の御朱印5
89
みさきさん
2018年10月16日 00:00

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みんなの参拝記録

氷川神社の参拝記録1
1
131
すみさん
参拝日:2022年2月5日 10:20

ブッチャーさん
★★★ 参拝日:2024年11月19日 00:00


まーぼーさん
★★★ 参拝日:2024年11月18日 00:00

やまちーさん
参拝日:2024年3月23日 14:43

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基本情報


※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 埼玉県さいたま市中央区下落合5-4
五畿八道
令制国
東海道 武蔵
アクセス JR埼京線与野本町 徒歩5分
御朱印授与時間
電話番号 048-853-0200一山神社 
FAX番号
公式サイトURL
御祭神 素戔嗚尊
創建・建立
旧社格 旧村社
由来 社頭掲示
氷川神社の由来と伝説
 古来人が住み何らかの祭祀の行われていた氷川神社境内に、何時神社が創建されていたのか解らず笠間通り商店街とか、笠森神社と呼ばれている意味を知らずに使っていますが、下落合村そのものが桜木川とか霧敷川などが鴻沼という、東京湾の名残の沼沢地に幾筋もの川が落ち合っていましたので、何時しか落合と呼ばれ戦国末頃から数軒の農民が開墾し定住しだしたのが起こりのようです。 
 鎌倉末から室町時代に大宮台地の外れで、巨大な沼沢地を望む高台に渋川氏の戦闘施設として、落合陣屋が置かれ現在の最高地である神社境内の南の、交通の要衝として近郷の武装農民の盟主として君臨しており、村を形成していったのがそもそも発展の基礎となったようです。但し台地上に河川が無く僅かに湧き水がある程度なので、農業としてそれ程発展せずに村として成立した当時、落合七家と言われる程度の小さな集落だったようでそれ程重要ではありませんでした。
 然し神社そのものは伝説によると永承六年(千五十一年)に始まった前九年の役にさいし、征夷大将軍として前九年の役に向かう途中、源の頼義、八幡太郎義家の親子が与野近辺で募兵し兵を休ませた時に、湖の彼方に美しい森が笠のように生い茂っているのを見て問い質し、古くからの神社があると聞いて参拝し無事凱旋するにさいしてもお礼参りをして、美しく笠のように見事な森だと賞賛したので笠森と言われだしたようです。
 やや時代が下がり文永十一年(千二百七十四年)蒙古軍が九州に攻め寄せた時に、当地の武装農民つまり武士達が源の頼義、義家の故事にあやかろうと氷川神社に参拝し奉納されていた石の笠を頂き、無事凱旋したのでそれ以来勝利の守り神と讃えられ、本来水神を祭るので巨大な水辺に有りましたから、無病息災、悪疫退散、五穀豊穣の神として地域住民の尊祇を受けて参りました。

氷川神社神輿
 今回皆様に御協力いただきました神社神輿は、大正十四年に地域内篤志家を中心に、多大なる奉加を頂き江戸時代からの旧神輿を、新規に作り域内の疫病退散と家内安全のために、奉祭して参りました下落合の神社神輿で御座います。
  製作費二千八百円。 
   当時の下落合の畑地は一反約三百坪 百七十円 
          山林地一反     百二十円 
 建坪三十坪程度の普通住宅が千五百円から千円で出来たそうです。
 それ以来大切に担いで参りましたが雨天などにも出しますので、時間の経過により古びてまいり色もくすみましてしまい、昭和五十四年に神社本殿並びに拝殿の新築に当り、神輿も大修繕を行いましたが三十有余年の時間を経て、色もさめ金具も輝きを失いましたので再度修繕を致しました。
 夏祭りで既に御覧になった様に大変煌びやかになり、大分緩んでいた木組みも確りしましたので建造当時の姿に復活いたし、今後、より華やかな夏祭りを挙行していけるものと感謝申し上げます。

下落合鎮守としての氷川神社の沿革
 当地に何時神社が鎮座したのか定かではありませんが、縄文海進の時代に神社境内地内に、縄文から弥生に掛けての生活の残滓が認められ、笠森神社遺跡として幾つかの住居跡が確認され、古墳時代から飛鳥時代に掛けて何らかの祭祀が行われ、祭器なども出土しているので神聖なる土地として崇められていたようです。
 神社としての機能の歴史は江戸時代の新編武蔵風土記などに、笠森明神社、笠間明神、或いは笠間氷川神社として、中村社として明治期に社格を与えられ、下落合村の郷社として時代時代の盛衰もありましたが、現在に至るまで地域内の尊志を受け旧社殿の改築も、明和七年(千七百七十年)棟札で確認されているようにそれ以前から確実に存在していました。
 記録として最古のものは元禄三年に徳川綱吉は、村の鎮守地として一反二畝十八歩を与えるとの朱印状があり、一時国有地として無登記だったために没収され掛かりましたが、元禄時代の下落合絵図及び綱吉の朱印状を証拠として取り戻し、現在の神社境内として下落合中の所有となっております。
 戦後宗教法人法が整備され村の神社としてだけでは通らなくなり氏子総代会と、責任代表者としての宮司を定めて登録いたしましたので、稲荷神社、向原不動尊の両地と共に宗教法人氷川神社と、正式名称になって現在に到っております。
 平成二十二年十二月
  氷川神社氏子総代長
   近藤皓一
   氷川神社氏子総代会一同
   笠森会会員一同 
  後援 下落合自治会連合会

境内碑
社殿改築記念碑
 当神社は素戔嗚尊を奉斎し下落合一円の鎮守として千有余年の歴史ある村社であり、前九年の没源頼義及び義家奥羽征討の時この地にて農兵を徴し、戦勝を祈願し笠の如き石をもて戦地に至り、戦い勝ち帰りて社前にて大祭をなし笠守氷川大明神と申し奉る。弘安蒙古襲来の年、渋川氏の配下故事にしたがい笠をつけ從軍し、戦い勝ち帰りて大いに祭る、云々と口碑にあり、爾来かさの神笠守さまとして大勢の信仰を集めている。
 本殿、拝殿は明和七年六月再建以来二百余年を経、老朽し修理困難のところ、氏子一同相図り浄財を持ち寄り神木を用材とし、昭和五十三年九月起工、翌五十四年四月三日正遷座祭を挙行同年七月竣工、その後常夜燈、鳥居、狛犬、手水舎、神輿庫、外柵を整備し、同時に境内に市立公民館を建設したものである。
 浄財の寄進者弐千百弐名、浄財の額五千八百七拾五万円である。
 茲に事由を記して記念のため碑石を建立する。
    昭和五十六年四月吉日
        下落合氷川神社 氏子一同
        下落合神社改築実行委員会
神社・お寺情報 社頭掲示
かさもり様
与野市大字下落合五六八番地の三に俗に「かさもり様」 と呼ばれている草ぶきの社(やしろ)があります。これは昔から下落合の鎮守として土地の人々の尊崇を一身に集めて来られた社です。
 さて、この社を訪れますと右手に高いみかげ石の社標があって、大きく「笠間氷川神社」と刻んであります。それから、拝殿の前に立って見上げますと、古びた額が掛けてあり、これにも「笠間氷川神社」と書かれています。これでたいていの人は、この社の名まえは「笠(かさ)間氷(ひ)川神社」というんだなと思います。
 しかし、徳川時代にできた新編武蔵(むさし)風土記稿という本をみますと「笠間大明神」と記されており、明治初年にできた武蔵国郡村誌には「氷川社」となっていますそして、戦後昭和二十一年に県へ提出した宗教法人令による届け書には「氷川神社」と書かれています。そうしますと、この社のほんとうの名まえは、現在の時点において、「氷川神社」と申しあげるの が最も正しいと思われます。
 ただ、不思議なことに、土地の人の十中八九は「かさもり様」とお呼びするようになったのでし ようか?
 今から九百年以上も前の事です。永承六年(1051)に源頼義(みなもとのよりよし)は、陸奥守(むつのかみ)に任ぜられ、その子義(よし)家を始め、一族郎党を率いて陸奥に向かって進発しました。
 当時、陸奥国には、安倍(あべ)頼時とその子貞任(さだとう)・宗任(むねとう)を中心とした一族が勢力を張っていて、国の命じた役人の命令もきかぬありさまでしたそこで朝廷は、武勇の誉れ高い源頼義を国司に起用して、鎮定させようとしたのです。だから頼義一行が陸奥へ着けば、安倍一 族との間に必ず一騒動あるものと思われていました。したがって、頼義はあらゆる場合を想定して準備をし、行く先々味方を引き入れて進んで行ったのでした。
 ところで、ある夜の夢に、神様が現れて「頼義よ!そちは陸奥へ行くというが、あそこにはクマのように強い安倍一族がいるぞ。いくさもじょうずだ。うかうかしていると逆に征伐されてしまう。しかし、これに勝つ手だてが一つある。それは、武蔵国足立郡下落合村に一つの社があって、そこに石で作った笠がある。それを持って戦いに臨めば必勝疑いないしというもの、ゆめゆめ忘れるでないぞ」と申されました。
 数日の後、一行は一望千里の武蔵野にこまを進めていました。その時、はるかかなたに、こんもりと茂った大きな森が見えてきました。物見をやって調べさせますと、それが、下落合村の社の森だったのです。頼義はさっそく一同を社前に集め、みずから神前に進み出て、うやうやしく拝礼しました。すると、夢のお告げとおり、石の笠がそこにありました。頼義は、さっそくそれをおしいただいて、ひたすらに神のご加護を祈るのでした。
 以来、いささかの紛争もなく平穏な数年が過ぎて行き、頼義の任期もまもなく終わろうとしていました。ところがそのうち、ふとしたことから両者の間に戦いが始まりました。
 頼義は初め安倍一族など一押しで打ち負かすことができると考えていたようですが、なかなかそうはまいりませんとにかく安倍一族が死にもの狂いに抵抗しましたので、戦いは一進一退して、一時は源氏の旗色が悪くなり頼義自身の命さえ危ぶまれるときもありました。しかし、その子義家の奮戦もあり、清原一族の助けもあって、康平五年(1062)やっとのことで鎮定することができました。これが世にいう前九年の役です。頼義は、がいせんに当たりまた下落合村の社に立ち寄り借りて行った石の笠を返納申しあげました。とにかく、このたびの戦いに勝つことのできたのは、ひとえに、この社の石の笠のおかげであると言って、大祭を催して神霊に感謝し、神徳をほめたたえたということです。
 それ以来、この社は笠がお守りくださるありがたい神様だというので、だれいうとなく「笠守(もり)様」とお呼びするようになりました。
 その後、時代によって神社名はいろいろ変わっても、「かさもり様」という称号は相変わらず愛称され、親しまれて今日に至っているのです。
 付記
 かさもり様の由来については他にも異説があるようですが、ここでは下落合所蔵記録をもとにして書きました。
例祭日  
神紋・寺紋 未登録
更新情報 【 最終 更新者】重複表現を修正しました。
【 最終 更新日時】2024/08/25 18:21:47
 
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