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基本情報
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住所 |
埼玉県さいたま市桜区田島4-12-1 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス |
JR埼京線中浦和 徒歩8分 |
御朱印授与時間 |
|
電話番号 |
048-822-2254 調神社 |
FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御祭神 |
建速須佐能男尊 |
創建・建立 |
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旧社格 |
旧村社 |
由来 |
境内掲示板
氷川社 御由緒
▢御縁起(歴史)
県花であるサクラソウの自生地として知られる田島は、荒川左岸の低地に位置し、農地と工場が混在する住宅地である。 国指定特別天然記念物の田島ヶ原サクラソウ自生地は地内西端部の荒川の堤外地付近にあり、市立さくら草公園として保護が進められている。
当社はこの田島の鎮守として祀られてきた社で、旧社家の栗原芳太郎家所蔵の「朱印状書上」(年不詳・未九月)によれば、既に慶安二年(一六四九)には徳川家光から朱印地七石を拝領したことがわかる。また、『風土記稿』田島村の項には「氷川社村の鎮守なり、社領七石の御朱印を賜ふ、当社を下の宮と号し、西堀村の氷川社を上の宮と唱へり、末社鹿島社 荒脛社 天王社 稲荷社 神主栗原民部吉田家の配下なり」とある。「下の宮」の呼称は現在でも通称として用いられているが、これについては、かつて田島と西堀が一村であったころ、同村内にある二つの氷川社を区別するため、上下の呼称を用いるようになったという話が伝えられている。
明治六年には村社となり、同四十年には大字関の無格社神明社と同境内社の八坂社・天満社、大字鹿手袋の村社八幡社と同境内社の稲荷社、同大字の無格社日月社と第六天社の計七社を合祀した。しかし、この合祀は実際は書類上のことにとどまり、いずれも旧地に社が残り、祭りが続けられている。当社の祭神は建速須佐能男尊外七柱である。 |
神社・お寺情報 |
幟立石 安政六己未歳四月(1859)
浦和市指定無形民俗文化財
田島の獅子舞
昭和三十三年三月三十一日指定
氷川社に奉納される獅子舞である。昭和四十四年に舞ってから途絶えていたが、五十六年に復活した。三月、七月、十月の祭礼にここ氷川社の拝殿前で舞われる。また、四谷の観音堂でも舞われる。
獅子は三頭だてで大獅子、女獅子、中獅子からなり、未成年の女子二人が花笠をつけて立つ。楽器は獅子のつける太鼓と笛方の笛だけであり、ササラは使わない。
獅子は竜頭形式の獅子頭をつけ、女獅子には角がない。大獅子の角には「江戸本角兵衛」と刻まれている。かつては「天下一江戶本角兵衛」とあったが、「天下一」は将軍家が使うことのできる詞であるので、これをとりはずし、お宝としている。
舞いは、庭回り、女獅子の出端、中獅子の出端、大獅子の出端、ふっかけ、獅子歌、ふんがえし、骨かえり、弓掛、オンベ掛、しまいの順で、古い形を正確に伝えている。
昭和六十三年九月
田島の獅子舞保存会
浦和市教育委員会 |
例祭日 |
・春祭・・・三月十五日直近の日曜日
・夏祭・・・七月十四日直前の土曜日
・例祭・・・十月六日直近の日曜日 |
神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】thonglor17
【
最終
更新日時】2024/02/04 08:39:56
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