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基本情報
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住所 |
埼玉県さいたま市緑区美園1-30-9 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス |
埼玉高速鉄道浦和美園 徒歩33分 |
御朱印授与時間 |
|
電話番号 |
048-822-2254 調神社 |
FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御祭神 |
倉稲魂命 |
創建・建立 |
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旧社格 |
旧村社 |
由来 |
▢御縁起(歴史)
明治三十四年十一月に社掌酒井美孝、総代若谷高太郎らによって編纂された『村社高畑稲荷社御由緒調査書』には、当社の由来が次のようにある。江戶期名主を務めた若谷家は、千葉東氏の出自で高畑(函)氏を称し、太田美濃守資房に仕え、太田氏没落後は小田原北条氏に仕えた。小田原落城後に当地へ土着した高畑三郎左衛門が若谷姓を名乗り、それまでの実名を村名として、村の開発に従事し、代々名主を務めた。村の開発が進み、民家も増えてきた寛文二年 (一六六二)九月九日に三郎左衛門の孫喜兵衛は、屋敷内の若谷稲荷の神璽を現在地に遷し、新たに「高畑稲荷社」と称して村の鎮守とした。
そもそも若谷稲荷は三郎左衛門が村の開発に当たり、氏神として祀ったものであろう。村鎮守となった後も代々若谷家が総代を務めている。
別当は高松山光明院日輪寺で、往時は当社の西に隣接していた。
当社は三郎左衛門から八代目の八郎治の時、明和七年(一七七〇)十一月付で山城国紀伊郡稲荷本宮(伏見稲荷大社)から神璽の分霊を受け、同じく一一代目の八百次の時に天保九年(一八三八)正月付で神祇伯家から「正一位高畑稲荷大明神」の神璽の勧遷を受けている。
神仏分離後、光明院は廃寺となり、当社は明治六年に村社となった。 |
神社・お寺情報 |
新編武藏風土記稿
足立郡高畑村
稻荷社 村ノ鎭守ナリ 末社 三峯社 疱瘡神社
別當光明院 新義眞言宗埼玉郡尾ヶ崎村勝軍寺門徒 高松山日輪寺ト號ス 開山實成元錄十七年三月寂ス 本尊十一面觀世音ヲ安セリ |
例祭日 |
・新年祭 一月中旬 ・初午祭 二月初午 ・大祓式(塞祭) 七月十五日 ・例祭(くんち) 十月九日 |
神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】thonglor17
【
最終
更新日時】2024/05/05 11:26:16
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