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基本情報
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住所 |
埼玉県川口市木曽呂193 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス |
JR武蔵野線東浦和 徒歩19分 |
御朱印授与時間 |
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電話番号 |
048-284-3838氷川神社 |
FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御祭神 |
須佐之男命 |
創建・建立 |
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旧社格 |
旧村社 |
由来 |
境内掲示板
朝日神社 御由緒
川口市木曽呂一九三
□御縁起(歴史)
当社は元来氷川神社と号し、応永三年(一三九六)に創建したと伝えられる。
その後、江戸期に入るまでの事歴は不明で、社記によれば、享保七年(一七二二)神祇管領吉田家から正一位に叙せられると共に本地仏の十一面観音像が本殿に安置された。更に、文久二年(一八六二)社殿大破につき、神階叙位にかかわる宗源宣旨・宗源祝詞・幣帛が破損したため、吉田家に願い出てこれらの品々を改めて拝受したという。先の享保七年の宗源祝詞には、氏子の間で禁忌とされていた「四間半の家作る事」「蕎麦蒔事」を尊神に許しを乞うた一文が見える。
慶応三年(一八六七)の社殿再建の棟札写しには発願主として「名主石井忠左衛門」、奉幣使として「別当薬王寺住貞祐」の名が見える。
神仏分離により薬王寺の管理下を離れた当社は明治六年に村社となり、更に同三十年に十一面観音像が薬王寺に移されて名実共に神仏分離がなされた。
明治四十年から同四十四年にかけて木曽呂・東内野・源左衛門新田・神戸・安行領在家・道合の六大字の各神社を当社に合祀し、大正二年に至り、社号を朝日神社と改めた。社名の由来は、御遷宮(合祀祭)を執り行った十月十日にちなみ、「十月十日」の四文字を組み合わせて「朝」の字を冠し、朝日のごとき隆盛を祈ったものである。 |
神社・お寺情報 |
境内掲示板
鬼瓦
屋根の頂きにある大棟の両端や、降り棟の端を飾る瓦で、七〇〇年以降建築物の安泰を祈り、鬼面を飾ったものが主として用いられたため、鬼瓦の名称が一般的となった。
また、鬼面がなくても、前途の場所に飾られてある瓦も鬼瓦と呼ばれている。
ここに安置してある鬼瓦は、大正十年(一九二一)に当神社の屋根が、茅葺きから銅板に葺き替えると同時に、この鬼瓦を使用したものである。その英姿は威風堂々として、誠に他に類を見ないものである。
平成五年(一九九三)社殿建て替えによってその務めも終わり、古色蒼然、永年の労を偲び設置した次第である。
平成十八年十月吉日
御神位石櫃
天保十一庚子年
五月吉日造之
発起 石井源太
願主 石井忠右エ門
やくもたついつもやゑかきつまこみにやゑかきつくるそのやゑかきを
右御歌
天保十一庚子年
四月二十八日
八十翁
石井道順謹書
境内碑
碑文
当朝日神社は、創建以来木曽呂の氷川様として、一三九五年大宮大明神より分社し、一九〇五年東内野、源左ヱ門新田、道合、在家、神戸(昭和二十三年分離)の各地区鎮守■■官政令によって合祀されて朝日神社と改められました。
昭和五十九年一部神社名義の土地が、外■環状線の建設のため、建設省に買上げされ、これを契機として、平成四年造営を開始し、多数の方々の御協力と関係者の誠意及び御祭神のご加護によって、平成七年十月完成を致しました。
撰文 総代長 石井 光
石工 茨城県真壁町 小松本石材 |
例祭日 |
・元旦祭(一月一日)・小祭(四月十五日)・天雲神社祭(七月十四・十五日)・例祭(十月十日) |
神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】thonglor17
【
最終
更新日時】2022/02/13 09:53:55
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