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基本情報
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住所 |
埼玉県上尾市小泉443 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス |
JR高崎線上尾 徒歩22分 |
御朱印授与時間 |
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電話番号 |
048-725-2069 八枝神社 |
FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御祭神 |
素戔嗚尊、大雷命、菅原道真朝臣 |
創建・建立 |
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旧社格 |
旧村社 |
由来 |
境内掲示板
八合神社 上尾市小泉四四三
祭神・・・素戔嗚尊、大雷命、菅原道真朝臣
当社は、古来「氷川社」と称し、『明細帳』には「往古ハ字宮山ニ鎮座アリシカ慶応三丁卯(一八六七)十一月移転ス、其際当国一ノ宮氷川社ヲ分祭勧請ス」とある。これに見える旧地の字宮山は、現在地の南西五〇〇メートルほどの「宮山」あるいは「元氷川」と呼ばれた所で、三井団地の敷地内に当たり、元は一帯が山林であった。
慶応三年(一八六七)十一月に現在地に遷座移転し、明治六年(一八七三)に村社に列せられた。
その後、明治四十年に大石村の内の小泉・中分・井戸木・中妻・沖之上(浅間台)・弁財・小敷谷・領家の八大字に点在していた三九社(境内社を入れると六四社)を小泉の村社氷川社に合祀し、社名を「八合神社」と号して成立した。合祀の中心に小泉の氷川社が選ばれた理由としては、小泉が八大字の中央に位置していたことや、小泉に大石村の役場が置かれていたことが挙げられる。また、社名については、八大字の各社の総代が協議して決したとの話が伝えられている。現在、境内にある幟立ては、合祀の際に小敷谷から移されたものである。
小泉の地は寛文年間(一六六一‐七三)に藤波村から分村したといわれ、藤波村の鎮守が天神氷川八幡合社であることから、このうちの「氷川社」を分村の前後に勧請したものと考えられる。その後現在地に遷座するにあたり、正式に武蔵一宮の大宮氷川神社から分霊を請うたのである。
鎮座地は「氷川山」と呼ばれ、氏子区内でも一番の高台にある。その社叢は”鎮守の杜”と呼ぶにふさわしい景観をなし、社地を含む一帯は上尾市指定保存樹林として保護されている。また、昭和六十一年には「八合神社と周辺林」が『二十一世紀に残したい埼玉の自然一〇〇選』の一つに選定された。
宮司連絡先 :〇四八(七二五)二〇六九
境内碑
村社八合神社記
此の大石村の鎮守村社八合神社は村内八大字毎に鎮座ありし数多の神社を併せ奉りし
〇のにて神社の御名も字の数によりておほせ奉りしとそ祭神は素盞嗚大神大雷神菅原
道真朝臣の三柱に座す元この村大字ことに一社の鎮守の御社ありし外なほ三十二社の
無格社もありて崇敬の實も全きを得かたかりしかは氏子崇敬者等畏きことに思ひいか
うて村人の真心もて一所に集め奉り其の社殿をも改修して神威の尊〇〇を〇うしめても
か〇と胥ひ謀りて明治四十年七月二十五日此の神域に合祀のことを行ひ奉り御社名を
も此の時に改め奉りしと云ふかくて大正五年三月より社殿造營の工を起し数年を經て
本殿をはしめて拜殿社務所に至るまて營み終へて其の面目をあらため大正七年十一月
五日には神饌幣帛料供進の指定をさへ受けて〇にその上の〇〇もなく常へに鎮守〇
神の稜威の彌高く〇かやゝに至〇ることは畏くもまた嬉しき極みな〇けりか〇〇〇な
〇ことは神なから〇のみたまの幸ひ給へるに〇〇〇はいふも更な〇〇〇村人のた
たからぬ心盡しの結果なたしやはと〇ちよろこ〇〇て村人の〇〇〇〇〇〇〇その〇の
〇〇の書き誌しぬ
大正十年十月十五日 官幣大社氷川神社宮司従五位勲六等額賀大直 |
神社・お寺情報 |
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例祭日 |
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神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】まっきー
【
最終
更新日時】2022/01/05 14:42:37
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