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基本情報
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| 住所 |
埼玉県鴻巣市天神1-6-14 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
| アクセス |
JR高崎線鴻巣 徒歩12分 |
| 御朱印授与時間 |
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| 電話番号 |
048-542-7293 鴻神社 |
| FAX番号 |
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| 公式サイトURL |
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| 御祭神 |
菅原道真公 |
| 創建・建立 |
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| 旧社格 |
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| 由来 |
境内掲示板
元荒川右岸の大宮台地北端部に位置する生出塚は、地内に古墳が多く存在することからその名が起こったといわれている。元は生出塚村として一村であったが、元禄十五年(1702)以前に上・下ニ村に分村した。
当社は、その上生出塚村の地内にあり、上下両生出塚の鎮守として信仰されてきた神社である。
当社は元来は天満宮と称し、菅原道真公を祀ってきたが、明治四十年に下生出塚字太郎子山に鎮座していた稲荷社を合祀したことにより、社号を生出塚神社と攻めた。また、この時に下生出塚字橋場の厳島社を当社の 境内に移転した。
江戸時代には地内の満行寺という当山派修験が当社の祭祀を司っていた。 同寺は神仏分離に伴って廃寺となり、僧は松村主水重行と名乗って復飾し、当社や下生出塚の稲荷社の神職を務めた。更に、明治四十四年からは鴻神社社家の伊藤家が祀職を継ぎ、現在に至っている。 当社の神体は高さ三十センチメートルの木造天満天神座像で、その 胎内には、京都五条烏丸通の仏師左京法眼の孫弟子藤原吉圀が、貞享四年 (1687)に鴻巣町おいて宿内の人々の依頼で作った旨を記した木片を納めていた。鴻巣の離人形の古型である土偶天神はこの神像を基にしたものと推測されており、「鴻巣離」を語る上でも貴重な資料であったが、 残念なことに昭和ニ十四年に盗難に遭い、行方不明となっている。
生出塚神社改築記念碑。
生出塚神社由来
当社は、もとの生出塚村の鎮守として信仰されてきた神社である。創建の時期は不明で、元来は天満宮と称し、菅原道真公を祀ってきたが、明治四十年(一九〇七年)に社号を生出塚神社と改めた。
生出塚(おいねづか)という地名の由来はさだかではないが、日本書紀安閑天皇元年(五三四年)に記述のある武蔵国造の乱において当地の豪族笠原直使主(かさはらのあたいおみ)と争った同族の、笠原小杵(かさはらのおきね)と関わりがあることが推測される。この小杵を葬った古墳がこのあたりにあり、小杵塚(おきねづか)と称していたのが、いつの頃からか「おいねづか」となり、現在の「生出塚」という字をあてるようになったのではないか。当社にまつわる古文書類がなく、その由来を確かめることもできないが、古墳の上に社を祀る事例は各地にあり、このことからすると、この小杵塚が削られて畑地になった後に社が残り、その社が後に天満宮になったのではないだろうか。
この近辺からは埴輪窯跡や、その他多くの遺跡も発見されており、古代からこの地域の人々の生活の場であったことがわかるが、当社も、古くからこの地域の人々に崇敬されてきた社であったのではないかと思われる。
平成十七年四月吉日 宮司 伊藤千廣 |
| 神社・お寺情報 |
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| 例祭日 |
元旦祭(一月一日)。例大祭(十月十日) |
| 神紋・寺紋 |
未登録
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| 更新情報 |
【
最終
更新者】ロビン
【
最終
更新日時】2024/01/14 17:34:02
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