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基本情報
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住所 |
埼玉県川越市古市場2 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス |
JR川越線南古谷 徒歩20分 |
御朱印授与時間 |
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電話番号 |
049-245-4138 |
FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御祭神 |
南古谷出身戦没者の霊 |
創建・建立 |
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旧社格 |
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由来 |
南古谷神社<川越市古市場二(古市場字古我原)>
太平洋戦争激化に伴い「撃ちてしやまむ」と国民は勝利という目的完遂のために一丸となっていた。
男子は戦前まで必ず青年期の始めに徴兵検査があり、これが成人となる通過儀礼の一つであった。村では徴兵検査が終わると一人前として扱われて若衆に加入することになっていた。兵隊検査は満二〇歳で行われ、いったん徴集されれば兵士として家郷を離れ、国のために一命をなげうつ決意で村を出発した。徴兵検査に合格しないと、唐箕についている三番口と同じだ(「しいな」が出る口の意から役に立たない者)といわれた。召集令状が来ると出征兵士は、各々近くの鎮守で区長・在郷軍人分会長・国防婦人会長から激励の言葉を受け、村人は最寄りの駅まで見送って万歳を三唱した。しかし、出征兵土の中には無言の帰還をしたものが多く、遺族の悲しみは誠に深かった。昭和二〇年八月一五日ついに終戦を迎えたのである。
ここに昭和二五年一〇月当時の南古谷村村長、沢田貞輔ほか一二名の建設委員により、当地出身戦没者の霊を慰めるため神社の創建が実行に移された。これは村人の総意であり、国のために殉じた一三七柱が祀られた。社地は南古谷地区のほぼ中央にある氷川神社の境内が選ばれ、ここに大宮の氷川神社から譲り受けた社殿を建て、厳粛に鎮座祭を執り行ったのである。(「埼玉の神社」より) |
神社・お寺情報 |
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例祭日 |
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神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】ムンク
【
最終
更新日時】2022/03/07 10:35:41
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