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基本情報
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住所 |
福井県越前市大滝町13-1 |
五畿八道 令制国 |
北陸道 越前 |
アクセス |
|
御朱印授与時間 |
|
電話番号 |
0778-42-1151 |
FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御祭神 |
国常立尊 伊弉那諾尊 伊弉那美尊 |
創建・建立 |
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旧社格 |
県社 |
由来 |
岡太神社は延喜神名式に記載されている、今立郡一四社中の一社に比定されている社でその創始は社伝によれば継体天皇が皇子として同国に潜んでおられた頃(499)の一日岡太川の上流、水清き宮ケ谷に女神とおぼしきいとやんごとなき一上臈があらわれ「この村里は谷間故田畠少く生計を立てることはむづかしいが幸い清らかな谷水に恵まれているから紙を漉けばよいであろう」と自ら上衣を脱いで竿頭にかけ紙漉く技をねんごろに教えられた。伝習をうけ、いたく喜んだ村人達が名をお尋ねすると「岡太川の川上に住む者よ」とのみ申されただけで姿はいつしかかき消えていた。村人は瞼に残る尊容を川上御前と崇め地主神として、岡太川の上流宮垣と呼ばれる山腹に岡太神社を建てて紙の祖神岡太の大神としていつき祀ったと伝えている。爾来村人は世々この神の教示に違うことなく製紙の業を守り伝えるばかりではなく、岡太大神(川上御前)に対する篤い信仰を深い追慕を基軸としながら、大滝神郷一円を中心に和紙の技術を磨き発展していった。丁度その頃越の大徳として知られた泰澄大師が養老3年(719)此の地に来て今の大徳山を開き岡太神社(川上御前)を御前立とし国常立尊伊弉諾尊を奉祀し十一面観音を本地佛とした霊場を開き名称を小白山大瀧児大権現(現在の大瀧神社)と称え、別当寺大徳山大瀧寺を建立し、社僧を置き神事を掌らしめる一方、大いに製紙家を保護し写経用紙と護符紙の確保に努めたので、岡太神社も大瀧神社と共に著しく興隆していった。かくて鎌倉時代には国内有数の大社となったことは国内神名帳によっても明かである。この問岡太神社の名前は大瀧児大権現の陰にかくれ表には出なかったものの朝倉家の保護の下に奉書紙を初めとしてこの神郷一円に製紙技術が益々発達するに及んで製紙の守護神として岡太大神(川上御前)に対する尊崇は弥々篤く、その技法は修験者によって各地に広められていった。然るに延元2年(1337)には足利軍の兵火に回録した為それ以後は大瀧児大権現に合祀され、大瀧児大権現(大瀧神社)の摂社となったが越前和紙のすばらしい技法は中世末より近世にかけて山陰、九州地方をはじめ、奥羽・関東方面にまで伝播してゆき製紙の神として岡太の大神の崇敬は連綿として絶えることなく、御分霊を奉齋する者、あとをたたない有様であった。殊に大正12年7月内閣印刷局抄紙部において紙幣を漉くにあたり、その守護神として岡太神社の御分霊が奉祀されるや、全国紙業界の総鎮守と仰がれ、奉祀されるばかりでなく現在は紙幣の神として金運招福、商売繁昌の神として全国より強い信仰を受けるに至っている。昭和28年12月、全国紙業並びに氏子崇敬者の懇請により、大瀧神杜の摂社より新たに宗教法人として一社独立し今日に至っている。奥の院・岡太神社本殿は、昭和59年10月社殿を再興当時(江戸初期)の姿に解体修理復元し現在は市文化財として指定されている。 |
神社・お寺情報 |
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例祭日 |
例祭 5月4日 |
神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】のぶちゃん
【
最終
更新日時】2021/04/29 20:13:46
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