波宝神社 参拝記録 (天地悠久さん)
吉野西部(現在の五條市西吉野町から吉野郡下市町にかけて)には「吉野三山」と称される神奈備山があります。「金峯山(栃原岳)」「銀峯山(白銀岳)」「銅岳(櫃ヶ岳)」と金銀銅の三山であり、いずれも鉱山であり、そしていずれも山頂に神社が鎮座。「金峯山→波比賣神社」「銀峯山→波宝神社(当社)」「銅岳→櫃ヶ岳八幡宮」。「西吉野村史」には「神功皇后が三韓征伐から帰還され、南紀に赴かれる途中、この山で休まれた際(あるいは南紀日高からこの地小竹宮に還られた際)、にわかに白昼であるにもかかわらず、夜中のように暗くなり、神に祈られると再び日が照り出し明るくなった。このことから安場の地名を夜中と呼ぶようになった」と。これは地名説話ですが、創建由緒に繋がるものとなっています。最古の記録は「日本文徳天皇実録」の天安二年(858年)に「従五位下」となった記述。ご祭神について当社は住吉三神と息長帯日売命(神功皇后)としているものの、異説が多数有り。「大和志料」と「神社覈録」は祭神不詳、「神名帳考証」は磐排別神。他に丹生津姫神とするものも。
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