手力雄神社・八咫烏神社(熊野速玉大社境内) 参拝記録 (天地悠久さん)
今回は手力男神社について。元々は神門内に祀られていたのが、嵯峨天皇の弘仁四年(813年)に勅命により現社地近くに遷座。明治には新宮神社に合祀されたと。勅命による遷座理由は不明。新宮神社については、近隣13社を合祀、速玉大社境内に創建された社で神門内に鎮座。当社を「鑰宮」と称していることから、速玉大社のいわゆる鑰(鍵)を管理する社であったのだろうと思いますが、そこから閉ざす、さらに結界を張るといった意味合いも発生したのではないかと。当社は式内社 天手力男神社の論社に。他は熊野本宮大社の旧社地である大斎原にかつてあった摂社 御戸開神社(天手力神)、名草郡に鎮座する力侍神社の2社。御戸開神社は現在は社殿無しの神霊を残すのみ。力侍神社の方は少々複雑。大斎原から和歌山市神波字桑畑へ遷座、さらに和歌山市上野にかつてあった八王子神社境内に遷座、八王子神社が現社地へ遷座した後に式内社 天手力男神社も同地へ遷座。天手力男神社を祀る社として、八王子神社を境内摂社とし現在に至っているもよう。以上から式内社 天手力男神社の比定については非常に困難なことかと。
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