丹生神社 (高野町西富貴) 参拝記録 (天地悠久さん)
「西富貴」「東富貴」ともに丹生神社が鎮座。当社は集落外れの小山の中腹。創建等は不明ながら古老伝承によれば、文明十年(1478年)に丹生都比売神社より勧請されたとのこと。「高野の生き神」には、「大御神(丹生都比売命)ハ筒香藤代ノ峰(藤代ノ峰ハ大字東富貴ト大字上筒香ト奈良県吉野郡大塔村トノ三字界ヲナス高峰ナリ)ニ天降座シテ富貴ノ村ニ忌杖刺給フトアリ斬フ御経歴アリシ地ナレバ 其後勧請セシモノナラト古老ノ口碑ニ伝へ来レリ」とあるようです。「丹生大明神告門」には、伊都郡奄太村に降臨した丹生都比売神が後に紀伊大和を遷幸、うち「宇智郡布々支丹生に忌杖刺し給ふ」とあるのが当地のこととされます。以上ニ書に関して西富貴の当社なのか、或いは東富貴の丹生神社なのか不明。かつては村に一社の丹生神社が鎮座、村が東と西に分かれる際に、どちらかが分祀されたのではないかと。地形や鎮座地からの印象では、当社からのように見受けられるのですが。
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