天照皇大神社 (小夫嵩方) 参拝記録 (天地悠久さん)

天照皇大神社 (小夫嵩方)の参拝記録(天地悠久さん)
奈良県神社庁データより。「桜井市大字小夫嵩方小字山ノ神に鎮座し、祭神は天照皇大神、配祀神大山祇神を祀る。社伝に、天照皇大神宮鎮座は小夫天神社に座、天照皇大神宮の御分靈を遷し奉りと伝う。小夫嵩方(おおぶだけほう)分離は元享年間(1321~1324年)の頃といい伝う。天照皇大神社御由緒調査書、明治三十九年八月調によると、元享元年より明治39年まで604年を経るとある。当社の境内に杉一丈七尺廻りの大木あるを以て按に300年以後の神社たる事明らかなりと記録されている」と。小夫天神社から分霊されたが、社伝と「天照皇大神社御由緒調査書」は分霊創建は元享年間としています。これは明治三十九年(1906年)より604年前であるが、境内の大木から按ずるに300年以上前であることが明らかだと。 続けて「小夫嵩方は、真平山脈の頂上にあたる地勢により嵩方といい、大和川の源で美わしい山紫水明の地である。古代倭における磯城から山辺の境界線上にあたり、大倭郷と呼ばれた高天原の聖地で、天照皇大神社の敷地山ノ神につづく笠神は、倭笠縫邑の聖地にして小夫の笠神と並び元伊勢縁の地である。天照皇大神の鎮まる古代の小夫地方は元伊勢の発祥地であり、御山と称せられし奥の鎮は中岳と並ぶ神山で、巨岩があり近隣の割石神社とは古代の磐座である。神の郷の故地として倭、大和の発祥地であることから近郷にはない社名であり、神聖なる地形から天照皇大神社として奉斎されし所以である。往時の神の郷は磯城峡谷の隠国とも称されてきた。泊瀬川を逆り峠を越え小夫より寝地蔵、奥の鎮、笠神、割石、真平山、中岳、貝ヶ平山に通じ、山岳信仰、太陽と水神の信仰盛んなりし跡がうかがえるのである。貝ヶ平山、真平山は大倭郷の線上に位置し、太陽神影向の山、日の出の山と称されてきた。真平山脈より出づる細流は清き流れの渓流となり、万葉の昔は聖なる山の聖水の流れで神の河日の河と呼ばれた泊瀬川は、大和川となって豊富な水資源は灌漑用水として、水穂国として農業に大きな役割を果し、農林産物の宝庫となった」と。あまりに重要なので全文載せました。記述の推量は次回参拝時に。

おすすめ度:
参拝日:2020年10月31日 12:00

コメント一覧

*

通報

※「迷惑情報」を発見された方は、通報するを押してください。

神社・お寺検索

初めてご利用の方は、使い方をお読みください。
*は必須です
 
 
*
*

 
 
※「神社・お寺両方」を選ぶと、一度に全て検索ができ大変便利です。プレミアム会員限定の機能となります。登録はこちら
※「記録を色分け」を選ぶと、参拝や御朱印の記録が地図上で色分け表示されます。(検索に時間がかかります。ログインが必要です。)