廣津野神社 参拝記録 (天地悠久さん)
創建由緒等に関する資料は見当たらず不明。「新宮市史」にある廣津野満山社、祭神八百萬神というのが当社のことのようです。「熊野巡覧記」(寛政六年 1794年)には、「新宮を去る事半里 廣津野という里有 名所也」と。また「山越て廣津野濱の岩津ヽじ 又こんまで八莟でそ有レ」(また来るまで岩ツツジがつぼみであればな…)という平清盛の和歌があるようです。平安時代から名所として知られていたかと。またその書は、「是より濱邊通る 小き山の尾崎ヲ登り下る也 其山崎ニ御手洗といふ所有 盥(たらい)の如き石三ツ有 昔の順路にて胎内潜といふ岩穴なと通りしと有リ 今ハ其上の山を通るなり」と。おそらく現在の「御手洗海岸」と呼ばれる辺り、神武東征時に神倭磐余彦命が丹敷戸畔を討った際に、手に付いた血を洗い流したとされる伝説地かと思われます。
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