郡山八幡神社 参拝記録 (天地悠久さん)
豊臣秀吉の弟、秀長が城主として君臨した「郡山城」。城下町内「柳町大門」のすぐ側に鎮座。社前は南北に「柳町商店街」としての通りがあり、堺や高野街道に繋がる交通の要衝。 現在の「郡山城址」から北西に「柳町」という地名が残ります。原初の鎮座地はこちら。地侍の館が多くあったと伝わります。「続日本紀」の言う「平群郡に迎え…」というところからの勧請となるのでしょうか。同時期に薬園八幡神社も勧請。そちらは「梨原宮」から勧請されたとしているため、当社は一日先に勧請されたということに。秀長により城下町が形成される中で、一旦は「綿町」に遷座。現社地に再遷座されたのは、文禄二年(1593年)頃。「郡山城」鎮護する守護神として、歴代城主の厚い崇敬があったようです。
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