蛭子神社 (隠市守宮) 参拝記録 (天地悠久さん)
「倭姫命世記」に記される「隠市守宮(なばりいちもりのみや)」の候補地の一。崇神天皇六十四年に遷幸し二年間奉斎されたとあります。創建年代は不明、古来より「市守宮」と称されていたとのこと。由緒書には「このいわゆる伊勢遷宮伝説(『倭姫命世紀』としている)は架空の物語ですが、しかし神社名や地名などはすべて実在の者を用いられていますので、鎌倉時代に名張に「市守宮」と称する神社が存在したことは、まずまちがいのないこと」と。明治初年の「伊賀国誌草稿」という書には、「崇神天皇六十四年…(「倭姫命世記」から引用)本社すなわち旧跡なりと」と。この時代には当社こそが「隠市守宮」の伝承地であると考えられていました。一方で当社が「市場」に関わる社として、「三国地志」(宝暦十三年 1763年)に、古くからここで「六箇日市」が開かれていたというのを、由緒書には上げています。
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