水無月神社 参拝記録 (天地悠久さん)
京丹後市のシンボル「立岩」のすぐそば、周辺一帯の柱状節理の一つ「行者が岩」の袂に鎮座。「竹野郡誌」などは当社について、創建年代やご祭神ともに不詳と。一方当社を奉斎し続けているという東氏による案内が社頭に。その東氏というのが東漢氏の末裔であるとのこと。東漢氏は応神天皇二十年に、阿知使主とその子の都加使主が朝鮮半島の帯方郡より来朝し帰化、飛鳥時代には一族がもたらした文化・技術により大いに活躍しています。聖徳太子の母、間人皇后が蘇我・物部の政争による難から逃れるために丹後へ移住、その際に東漢直駒や穂見中江麿等ら7人が供したとのこと。その後裔らが奉斎し続けているのが当社であると。一族が行う祭事は古代より継承されているもののようで、貴重な無形文化財であると考えます。
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