嵯峨天一神社 参拝記録 (フクタロウさん)
周囲3.8m、樹高25mの最大級の榧。もとは2本あったが、昭和37年の拝殿改築の用材として1本を使用し、現在は1本のみ残される。
正門には、樹齢360年と言われる大杉。
元々お社は昔、恵穂志嶽(えぼしだけ)の山頂にあり、社を建て替える時期がきた。山頂に材木を運ぶのは大変で、怪我人も出たため、「出来ることなら御社を平地に移せたら」村人が神主に相談。神主は嵯峨川で身を清め、二人の宮総代を連れて恵穂志嶽(えぼしだけ)の山頂の社へ。神主は。社の中に入って深々と頭を下げ、御遷移を恐る恐る申し上げると不思議なことに、お社の奥から「日の出と同時に弓で嵯峨の里に矢を射るべし。その矢が止まりたるところに、社を建てるがよい。」とお告げがあった。宮総代は月明かりをたよりに坂道を駆け下りて村人に知らせ、これを聞いた村人は大変喜び、翌朝、東の空が白々と明けると恵穂志嶽(えぼしだけ)の頂上を見上げながら矢が放たれるのを待った。日の出と同時に矢が放たれ、矢は大きな弧を描きながら落ち、矢は上嵯峨川のほとりに突き刺った。そこへ材木が運ばれ、やがて社が完成。時は弘仁2年(811)のことである。
おすすめ度: ★★★★
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