遠見岬神社  とみさきじんじゃ

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住所
2995233
千葉県勝浦市浜勝浦1番地
電話番号
0470-73-0034
FAX番号
470732007
公式サイトURL
御祭神
天冨命(あめのとみのみこと)
御利益
創建・建立
旧社格
郷社
アクセス
●電車JR外房線 勝浦駅 (東口) ⇒ 徒歩 7分 ●クルマ館山道・市原インター下車、国道297号線右折突当り。 国道128号線と国道297号線交差点街中入り突当り。 〔普通〕 3台 /〔大型〕 0台
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最新参拝記録

ユーザー 参拝日
satoru 2017-08-12

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詳細情報

由来
社伝によると、御祭神天冨命は、神武天皇の勅命を奉じ阿波(現在の徳島県)の開拓を終えた後、東国により良い土地を求め阿波に住む忌部一族を率いて海路を黒潮に乗り、紀伊を経て房総半島南端の布良の浜に上陸され、祖神である天太玉命を祀る社を建て、麻や穀(かじ)を植え開拓を進められました。そして、麻がよく育ったところを総の国(後の上総・下総)穀の木がよく育ったところを結城郡(現在の茨城県結城市)と名付け、阿波忌部の住んだ所は後に、安房国と呼ばれました。安房の開拓を終えた天冨命は、その後当地においでになり遠見岬(現在の八幡岬)突端の冨貴島に住まわれ、先住民に農業・漁業・建築等の技術を教えました。天冨命がお隠れになった後、天日鷲命の後裔である勝占忌部の須須立命が天冨命の居跡に社を建て、開拓の祖神として御神霊をお祀りしたのが当社の始まりと伝えられております。また、勝占忌部が住んだこの地は後に勝占(現在の勝浦)と呼ばれました。時代は下り、慶長6年(1601年)大海嘯により社殿は決壊し社宝の多くを流失してしまいます。御神体と決壊した御社殿は尊磯の浜に流れ着き、一時宮谷に祀られ、萬治2年(1659年)当時の勝浦城主植村土佐守泰朝公により現在の地に遷座されました。尚、現在の社殿は嘉永2年(1849年)の造営です。旧社地はその後、元禄16年(1703年)の大地震により海没し、現在は一部が残されているのみです。勝浦は漁業の発展と共に、江戸時代には「勝浦三町江戸勝り」と例えられたほど繁栄し、当社は近郊の領主はもとより漁業関係者を始め、全国より多くの崇敬を集めました。御祭神天冨命は、開拓の指導者としての幅広い御神徳をもち、また東京より巽の吉方(東南)に鎮まる神社として、今もなお多くの信仰を集めております。
神社情報
例祭日
09/第三土
パワースポット情報

 

 

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