みんなの御朱印
自分の御朱印
まだ御朱印が登録されていませんみんなの参拝記録
★★★★ 参拝日:2018年3月15日 00:00
志摩國一之宮。鳥居の前に海が広がっているのが印象的。参道の階段は長いが、登る価値はあると思います。ご朱印は宮司様宅にて頂戴しますが、拝殿に詳しい地図がありました。
★★★★ 参拝日:2000年3月19日 00:00
志摩国一ノ宮。駐車場から鎮座地まで25分。田畑のあぜ道を進み、海岸線に出る。この、途中に視界が開ける、のどかな伊勢志摩の海が癒やされる。 鳥居をくぐり、このような人里離れた山の上に一ノ宮があるのかと、案内の碑などを頼りに登ること暫く、山中ではありながら手入れの跡が感じられる無人の社。 他に参拝者がなければこそ、己の感覚も研ぎ澄まされる。これは神の気なのか、森林が感じさせる一種の畏怖の感覚なのか見極めようとしていた自分がいた。 こうした経験を積み重ねていくことで感性も少しずつ磨かれていくものなのだろう。 海の包容感、開放感と…森の自らの内面に向かう神秘な感覚…それらを離れて日常に戻る感覚が往復の道中体感される。
参拝日:2021年2月7日 12:00
式内大社 粟嶋坐伊射波神社については、当社と内宮別宮である伊雜宮が挙げられています。「粟嶋」は「安楽島(あらしま)」の古名であると言われますが、伊雜宮が鎮座する磯部町から当地までを言うとする説も。また「二座」とあるためそれぞれを一座ずつとする説と、当社は伊雜宮に合祀されたので当社は式内大社ではないとする説と二通り。ご祭神は四座、倭姫命が皇大神宮に天照大神の御魂を鎮めた後、「御贄地」を求め志摩国へ巡行したところ、迎えたのが伊佐和登美尊。本宮とされた場所が安楽島町「二地」。発掘が行われていますが夥しい量の製塩用土器、祭祀用具が出土。縄文から平安にかけての複合遺跡で、古代からの霊地であったと考えられます。「加布良古大明神」とは稚日女尊のこと。 狭依姫命について。近くの「長藻地」という島に祀られていたが、島が水没したため当社に合祀したとのこと。玉柱屋姫命について。天叢雲命の後裔で、伊勢国造の祖 天日別命の御子。伊佐和登美尊の后。
参拝日:2018年1月7日 00:00
駐車場有 有料期間有 御朱印拝受 駐車場から社殿まで2kmくらい歩く 御朱印は宮司宅で拝受
自分の参拝記録
まだ参拝記録が登録されていませんみんなの動画
自分の動画
まだ動画が登録されていません基本情報
※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 | 三重県鳥羽市安楽島町 1020 |
五畿八道 令制国 |
東海道 志摩 |
アクセス | 近鉄志摩線中之郷 徒歩34分 |
御朱印授与時間 | |
電話番号 | 0599-25-4354 |
FAX番号 | |
公式サイトURL | http://kyoka.mie-jinjacho.or.jp/shrine/伊射波神社/ |
御祭神 | 稚日女尊(わかひるめのみこと) 伊佐波登美尊(いさわとみのみこと) 狭依姫命(さよりひめのみこと) 玉柱屋姫命(たまはしらやひめのみこと) |
創建・建立 | 不詳 |
旧社格 | |
由来 | 天照大神に仕えていた稚日女尊を加布良古岬に祭祀したことが創祀、志摩地方の海上守護神として信仰される。 倭姫命が天照大神の鎮座地を捜し求めた際、この地で出迎えた伊佐波登美尊は、新田開発に功績を遺され、志摩国の開拓祖神とされる。 玉柱屋姫命はその妃神で天日別命の御子神。 狭依姫命は、宗像三女神の一である市杵島姫命の別名で、祀られていた近くの島が水没したため合祀された。 |
神社・お寺情報 | 志摩国一ノ宮 別名:志摩大明神・加布良古大明神・かぶらこさん 式内社:粟嶋坐伊射波神社 二座 並大 の論社 【御朱印】初穂料:300円 宮司さん宅にて頂けます。(事前に要連絡) |
例祭日 | |
神紋・寺紋 | 亀甲花菱 |
更新情報 | 【
最終
更新者】カツ 【 最終 更新日時】2024/02/24 18:14:14 |