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みんなの参拝記録
★★★★★ 参拝日:2018年2月2日 00:00
★★★ 参拝日:2022年6月24日 00:00
大阪府茨木市に鎮座する茨木神社です。 残念ながら工事中で、仮本殿や仮手水舎でした。
★★★★ 参拝日:2017年1月3日 00:00
★★★★ 参拝日:2025年4月29日 00:00
🐲のパワースポット34💪 茨木市のパワースポットです。 今回は、厳島神社の摂社がありましたので🐲パワーをもらって来ました。😃 駐車場は、境内にあるのですが入り口が旧茨木城の搦手門なんです 本当に入っていいのかドキドキしながら入りました。😅 秀吉の茶の湯にも共された黒井の清水もあり、神社なのにお城に来た気分になってしまいました。
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基本情報
※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 | 大阪府茨木市元町4-3 |
五畿八道 令制国 |
畿内 摂津 |
アクセス | JR茨木駅東・阪急茨木市駅西500m |
御朱印授与時間 | |
電話番号 | 072-622-2346 |
FAX番号 | 072-624-5474 |
公式サイトURL | http://www.ibarakijinja.or.jp/ |
御祭神 | 建速素盞嗚尊 [配祀] 誉田別命 天児屋根命 |
創建・建立 | 大同2年(807年) |
旧社格 | |
由来 | 当神社は、平城天皇の御代「大同二年(八〇七年)坂上田村麻呂が荊切の里をつくりしとき、天石門別神社が鎮座された」と伝えられています。明治十二年発刊の「茨木村誌」や大正十一年に纏められた「大阪府全志」にも「大同二年二月坂上田村麻呂茨木町ヲ作ル是日本町ノ始ト十三朝集二有」と記されています。そしてこの「荊切の里」は、今日の宮元町付近と伝えられています。 平安時代の延長五年(九二七年)に編纂された延喜式巻第九に摂津国島下郡十七座の一つとして天石門別神社の名が記されています。それは天石門別神社が編纂当時に官幣社として尊崇されていた神社であったことを意味し、今日では特に式内社と呼ばれます。 爾来、中条村・茨木村の氏神として広く領主をはじめ多くの人々の崇敬をあつめました。 中世に入り補木正成公が村近くに砦を築いて後、戦国時代には城郭が整えられ堀を巡らせた惣構形成の過程で、茨木村はそれまでの農村的集落から城下町へと変貌し、天石門別神社も現在地へ奉遷されました。 以後代々の城主は厚い崇敬を捧げてまいりました。特に、豊臣時代には、城主中川清秀、片桐貞隆等が上田を寄進し、徳川時代には、藩主永井家、大阪城代等から祭礼毎に重役を代参させるなど氏子と共に尊崇の誠を捧げてきました。 この時代、摂津名所図会(寛政十年・一七九八年)及び社伝によると高槻城主高山右近が、織田信長に倣い神社仏閣を焼却するに際し、信長が天照大御神、春日大神、八幡大神及び牛頭天皇(素盞嗚大神)の諸社は焼くべからずとしたので牛頭天皇を祀ると詐称して焼却を免れたと伝えられています。 そして元和八年(一六年)素盞嗚大神を正殿に斎き相殿として春日大神そして八幡大神を祀る社殿を新たに築いて本殿とし天石門別神社を奥宮として今日に至っております。 明治五年明治の社格制度により茨木神社が郷社に列せられますが、氏子による元宮天石門別神社への社格授与嘆願運動が起こり、明治十二年郷社に列することとなり、一境内に郷社が二社ある全国にもめずらしい神社でもあります。昭和二十一年神社制度の改革により宗教法人として新たに発足し現在に及んでいます。 |
神社・お寺情報 | 境内社であり奥宮でもある天石門別神社が、式内社 天石門別神社の比定社 |
例祭日 | |
神紋・寺紋 | ![]() |
更新情報 | 【
最終
更新者】ととるし 【 最終 更新日時】2025/05/25 18:52:16 |