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基本情報
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| 住所 |
埼玉県熊谷市佐谷田404 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
| アクセス |
JR高崎線熊谷 徒歩25分 |
| 御朱印授与時間 |
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| 電話番号 |
0485217619 |
| FAX番号 |
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| 公式サイトURL |
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| 御本尊 |
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| 宗派 |
真言宗智山派 |
| 創建・建立 |
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| 由来 |
新編武藏風土記稿
大里郡佐谷田村
永福寺 新義眞言宗上ノ村一乘院末勝林山地藏院ト號ス本尊地藏惠心ノ作 鐘樓 寬永二十年鑄造ノ鐘ヲカク 地藏堂
境内碑
永福寺緣起文
勝林山永福寺は大同年間浄音法印の開基にかかり
勝林山地蔵院と称し真義真言宗智山派北埼玉郡成
田村一乗院の一等末寺である建久三年壬子火災に罹
り什物を除く旧證等は烏有に帰したりしが文明十
八丙午年第四十三世賢乗僧正本堂を再建して中興の
祖となる 超えて文化十四丁丑年老朽のため修造を
加え更に今回檀信徒の発願に依り大改築を施すに
至ったのである本寺は開基より現住職池田○○に
○てるまで世代を累ねること七十六世年を○○○
○と一千百三十有余年の長きに亘り実に○有の○
和○をて○○僧正○○○○○○僧正に至る八世代
間時の忍城主成田下總守氏長の御祈願所で○○○
寺の什物としての不動明王○三幅○○○○○○○
も御立像の一幅は真言宗開祖弘法大使の御立像で
他の御立像は真言宗智山派祖興教大師の御真筆に
して○座像の○○本山○行上人の御真筆に成○○
○あらたかにして光明四海に遍く衆生を救○○○
この不動明王の御三幅は永福寺什物中国宝にも○
する大宝物なれば住職は勿論檀信徒○○て○重に
扱ひ仮初にも不祥等聊かも無き様累代の堅き法○
として後世に傳え尊信すべきものなり
境内碑
墓地整理記念
昭和四十九年二月吉日
當寺勝林山地蔵院永福寺は、大同年間浄音法印の開基にかかり、年を閲すること一千百五十有余年なり。
この間、文明十八年本堂の再建並びに、昭和四十年に於ける本堂の大改築等各檀越の護寺護法の念は、誠に真摯なるものあり。今度父祖の念願せし墓苑整備の談あるや、挙って、これが整備事業に盡瘁し融融裡に完遂する。
特に役委員を始めとする各檀徒の真摯な勤労奉仕は事業完成の根幹と云うべきなり。
ここに父祖の残せる銘碑を集め、万霊の塔を建立しもって諸尊佛供奉三界万霊の供養を念願せるものなり。 |
| 神社・お寺情報 |
馬頭観世音 弘化三丙午秊四月(1846)
境内碑
池田興賢師碑
師俗姓池田幕臣佐内作次子嘉永元年十一月一日生於江都蠣殻町慶應
二年三月二十一月得度於佐谷田永福寺為七十一世正賢法嗣稱隆賢一
月十二日随興阿和尚於本寺一乗院道場新加三年正月二十一日十八道
開白十一月二十八日護摩法結願改稱興賢明治三年二月二十日随圓定
大阿闍梨於京都智山勸學院道塲灌頂受法卽日交衆七月十日爲永福寺
七十二世住職明治四十一年五月四日示寂世壽六十有一師修法初師事
興阿和尚後親炙晋詮僧正法流並傳授相承前後二回極其興妙師幼時稱
一學頴俊好學出入権田春潮福木佐太郎之門渉獵國文漢籍又景慕藤田
東湖之爲人刻苦學其書風筆致稜稜爲斯道所嘆賞傍嗜和歌有遺稿一巻
師資性剛健篤實大爲檀信徒所歸依多得外護修理堂宇建立山門改築鐘
樓其經營有可見者焉又感奮致力育英專以孝悌忠信尊王愛國之事薫陶
子弟是以遠近慕其學風敲門請敎者常滿堂門下芝蘭叢生其碑益世教不
尠也嗚呼法逝顯密興復寺門學兼和漢育英有功加師者葢希矣頃者門弟
子等相謀欲建碑以傳其德於不朽來請余文余嘉其舉按狀敍其梗概如此
大正六年二月 從六位林有章撰并書 |
| 例祭日 |
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| 神紋・寺紋 |
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| 更新情報 |
【
最終
更新者】zx14r
【
最終
更新日時】2026/05/16 11:17:15
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