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基本情報
※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
| 住所 |
埼玉県幸手市南2-3-19 |
五畿八道 令制国 |
東海道 下総 |
| アクセス |
東武日光線幸手 徒歩6分 |
| 御朱印授与時間 |
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| 電話番号 |
0480421932 |
| FAX番号 |
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| 公式サイトURL |
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| 御本尊 |
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| 宗派 |
浄土宗 |
| 創建・建立 |
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| 由来 |
境内掲示板
神宮寺
幸手市南二ー三一十九
鷹尾山誓願院神宮寺と称し、浄土宗の寺で、本尊は阿弥陀如来です。
江戸幕府が編さんした地誌『新編武蔵風土記稿』では、「戦国時代の天文年間(一五三二~五四)の兵火に遭い焼失した。その後、元亀二年(一五七一)に武蔵国足立郡鴻巣の勝願寺の不残上人が中興した。その当時は、村名までも神宮寺村とよばれていた。」と寺の歴史を伝えています。
また、境内にある「本堂改築之碑」(昭和三十一年建立)には、「神宮寺ノ創建ハ文治年間、鎌倉時代二時ノ征夷大将軍源頼朝公ノ開基」と、当寺と鎌倉幕府を開いた源頼朝との由緒を伝える記述があります。このほか頼朝との関わりを示す資料に、江戸時代の天保十五年(一八四四)に神宮寺第二十四世願誉本冏上人による縁起があり、次のように記されています。
鎌倉時代の文治年間(一一八五~八九)のこと。源頼朝は、敵対する藤原泰衡を討伐するため奥州へ向かう途中で、逃げ出した秘蔵の鷹を追って当地に訪れた。
鷹は、薬師堂境内の大樹に止まったまま動かず、近臣たちが餌箱を叩いて呼んでも下りてこない。そこで、頼朝は薬師堂の堂守に命じ、仏師・春日賢問子の作とされる薬師如来へ鷹が手元に戻るよう祈願させ、自らもまた祈ったところ、鷹は頼朝の左肩に飛び下りてきた。堂守は、すかさず鷹の尾羽を押さえ、尾羽二枚が抜け落ちたものの、無事に頼朝の元に戻された。
喜んだ頼朝一行は、奥州合戦の帰陣後に、善美を尽くした七堂伽藍の寺院を建立し、山号を鷹尾山と名付くよう命じた。あわせて薬師如来に誓願したので 誓願院神宮寺と号するようになった。
以上が、縁起に伝わる頼朝と薬師如来の伝承です。
また、境内には、江戸時代の相撲年寄雷権太夫の門弟で文久三年(一八六三)八月に亡くなった三代目片男浪の「片男浪仙吉」の墓石があります。幸手市出身の力士で、四股名は角田川千吉といい、七代目雷権太夫の娘を妻としました。
幸手市教育委員会
新編武藏風土記稿
葛飾郡上高野村
神宮寺 淨土宗足立郡鴻巢宿勝願寺末 鷹尾山濟嚴院ト號ス 古ハ能滿寺ト號シ寺領モ若干アリシカ 天文ノ頃兵火ニカヽリ 且寺領モ失ヒシ後次第ニ衰微セリヲ 元龜二年勝願寺不殘和尙中興シテ今ノ寺號ニ改メ 村名ヲモ神宮寺村ト稱セリト 今モ石標ナトコノ村名ヲヱリシモノアリ 當時大寺ナルコト知ルヘシ 堂傍ニ三間四方ハカリナル池アリ 大旱ニモ水涸レスト云 池上ニ水神ノ小祠ヲ安ス
藥師堂 春日ノ作 長一尺二寸 鐮倉將軍賴朝建久年中コノ地ニ放鷹ノ時 鷹ソレケルヲ藥師ニ祈念シテ鷹ヲカヘセリ 因テ鷹尾山ト名クヘキ由賴朝命セリト緣起ニ見エタリ 鐘樓 鐘ハ近年ノ鑄造ナリ |
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| 例祭日 |
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| 神紋・寺紋 |
未登録
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| 更新情報 |
【
最終
更新者】thonglor17
【
最終
更新日時】2026/05/03 06:55:04
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