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★★★★ 参拝日:2019年3月27日 15:40
別表神社。県社。 赤穂城内にご鎮座。 真っ直ぐ伸びた参道の左右には、赤穂四十七義士が立ち並び、参拝者を見守って下さってます。 立派な神門に拝殿。 平日夕方にもかかわらず、たくさんの方がお詣りにいらしていました。 御朱印をいただきました。 赤穂城にも見どころがたくさんありますので、そちらもおススメです。
参拝日:2017年5月5日 00:00
参拝日:2021年7月4日 14:20
★★★★★ 参拝日:2019年12月14日 13:30
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住所 | 兵庫県赤穂市上仮屋131-7 |
五畿八道 令制国 |
山陽道 播磨 |
アクセス | JR西日本赤穂線播州赤穂駅より徒歩15分。 |
御朱印授与時間 | |
電話番号 | 0791-42-2054 |
FAX番号 | 0791-42-1050 |
公式サイトURL | http://www.ako-ooishijinjya.or.jp/ |
御祭神 | 【主神】
大石内蔵助良雄以下四十七義士命と中折の烈士萱野三平命 【合祀】 浅野長直・長友・長矩の3代の城主とその後の藩主森家の先祖で本能寺の変に散った森蘭丸ら7代の武将 |
創建・建立 | 大正元年(西暦1912年)11月 |
旧社格 | 県社 |
由来 | 元禄14年(1701年)春3月、江戸城中松の廊下で、勅使接待役の浅野内匠頭長矩が、指南役の高家筆頭吉良上野介義央に刃傷に及ぶという一大事件が起こった。
長矩は将軍綱吉の独裁を持って即日切腹、浅野家は取り潰しとなるが、吉良方には何のおとがめもなかった。 これが第一の事件である。 それから、1年9ヶ月後、即ち元禄15年の12月14日(1703年1月30日)の夜、長矩の家臣大石内蔵助良雄ら四十七士の忠義の武士が、本所松坂町の吉良の屋敷へ討ち入り、美事義央の首を打って主君の怨みを晴らし、幕府の失政に一矢を報いる事件が起こった。 そして、2ヵ月後、義士達は武士にとっては最高の名誉である切腹という処分をうけた。 これが赤穂浪士の復讐事件といわれる第二の事件で、この二つの事件を合わせたものが世に言う「忠臣蔵」である。 大石神社は明治天皇の勅旨を契機として、明治33年(1900年)神社創立が公許せられ、まず大石邸長屋門の保存修理から始まって、義士を崇敬追慕する多くの方々からの浄財によって本殿以下社殿が竣工し、大正元年(1912年)11月、四十七義士を祀る神社としてご鎮座になった。 |
神社・お寺情報 | 別表神社(神社本庁) |
例祭日 | 12月14日 義士祭 |
神紋・寺紋 | 右二つ巴 |
更新情報 | 【
最終
更新者】さすらいきゃんぱ 【 最終 更新日時】2019/10/22 09:15:25 |