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★★★ 参拝日:2018年6月24日 00:00
【授与所】 たくさんの御守りが置いてある 白河市でのライブ前に参拝。 鳥居から細長い参道を歩いて行くと、小さいけれど池が出てくる。その池には神橋がかかっているけど坂が急過ぎるうえ、手摺も低く怖くて渡れない(笑)なので、脇の細い道を通って手水舎へ。池は綺麗な水で、鯉がたくさん泳いでいた。随神門も立派で境内も広い。御神木も大きい。境内にはお堂も残っている。静かでのんびりとした空気感の神社。
★★★ 参拝日:2015年8月13日 10:05
【授与所】 お守りやお札あり 駐車場あり
★★★★★ 参拝日:2023年9月17日 13:10
鹿嶋の名前がつく神社に始めていきました。参道、眼鏡橋、隨神門、拝殿、御神木、巨石の他に観音堂、弥勒堂があり、予想以上の規模でした。宮司様から以前、神仏習合で講堂や三重塔も存在していたことを教えてもらいました。これが現代にも残っていたらと悔しくなりました。これ以上、文化財がなくならないことを願います。
参拝日:2023年7月16日 00:00
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住所 | 福島県白河市鹿島8番地 |
五畿八道 令制国 |
|
アクセス | JR東北本線白河 徒歩28分 |
御朱印授与時間 | |
電話番号 | 0248233079 |
FAX番号 | 0248229933 |
公式サイトURL | http://www.kashimajinja.jp/ |
御祭神 | 武甕槌命(たけみかづちのみこと) |
創建・建立 | 宝亀年間(770年代)光仁天皇の御代の創祀。弘仁二年(811)正月九日、坂上田村麻呂東北遠征の折に、常陸国鹿島大明神を勧請 |
旧社格 | 旧県社 |
由来 | 宝亀年間(770~780年)光仁天皇の御代この地に祭られ、弘仁2年(811年)坂上田村麻呂が東夷征伐の際、改めて常陸国鹿島大明神を勧請した神社で、白河地方の総鎮守とし、武の神、白河以北を守る神として、戦勝を祈願したと言われています。延喜式神名帳(成立927年)にのこる式内社でもあります。その後も歴代城主の尊崇あつく、城主自ら奉幣、参籠し、祭田や社殿の寄進もありました。 文明13年(1481年)時の城主小峯政朝が神社において1万句奉納の連歌会をおこないました。著名の連歌師宗祗が西国からはるばるこの地にやって来たのも、この会に出るためでした。このことは、当時の白河地方の文化が相当高い水準だったことを示しています。 文化3年(1783年)松平大和守により『鹿嶋大神宮』の額が、また大正14年(1925年)海軍元帥東郷平八郎により『鹿島宮』の額が奉納されています。この両額は今も神社の正面に掲げられています。寛政7年(1796年)松平定信公により『楯無しのよろい』(市文化財)も奉納されています。 明治43年(1910年)不幸にして火災にあい、建造物、備品のほとんどを焼失しましたが、大正元年(1912年)再建され、現在に至っています。また、古来より歌枕にある転寝の森(うたたねのもり)は、当神社の飛地境内で、東へ300メートル程のところにあります。 |
神社・お寺情報 | 日本三鹿島の一社。 白河郷総鎮守。健康運。 |
例祭日 | 9月13日~9月16日 |
神紋・寺紋 | 左三つ巴 |
更新情報 | 【
最終
更新者】FÙKU 【 最終 更新日時】2021/11/19 04:36:42 |