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基本情報
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品陀和気命(ほんだわけのみこと)
息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと)
帯中津日子命(たらしなかつひこのみこと)
【相殿神】
宗像三女神(むなかたさんじょしん)
〔多紀理姫命 たぎりひめのみこと〕
〔湍津姫命 たぎつひめのみこと〕
〔市寸島姫命 いちきしまひめのみこと〕
素盞嗚神(すさのおのかみ)
倉稲魂神(うがのみたまのかみ)
金刀比羅神(ことひらのかみ)
古来、この草津、古江の地は深い入江であって天然の良港をなし神武天皇、神功皇后の伝説を多く残している。
社伝によれば推古天皇御宇(593‐628年)宮島の厳島神社とほぼ時を同じくして、この入江の奥に多紀理姫命を海路の守護神として祀ったのが当神社の創祀という。
八幡神の奉斎の時期については、諸説あり定かでないが12世紀末、鎌倉幕府の命を受け武蔵国渋谷郷(現在の東京都渋谷区)から当地に御家人として来住した社家始祖(右衛門大夫または右京大夫と伝える)が八幡神を勧請し、古くより当地に祀られていた「多紀理の宮」と合祀して八幡宮を創建、後に力箭八幡宮と称した。
また一説によると、宇佐八幡宮の社人、宇佐彦が土佐に赴き7代目の渋谷右衛門大夫という者が当地に来り、宇佐八幡宮より金交石の御分霊を戴きこれを宇佐来山麓に勧請したとも伝えられ、安芸の国では最も古い八幡宮の一社といわれている。
往古、当社の崇敬範囲は己斐より廿日市に至る沿岸部一帯に及んでいたという。
昭和6年(1931年)。近郷6箇村の氏子により境内地の造成と共に総ての社殿が再建造営された。
相殿神の宗像三女神の内、市寸島姫命と湍津姫命は明治25年(1892年)厳島神社より御分霊を神馬にお乗せして盛大に勧請され、素盞嗚尊、倉稲魂神、金刀比羅神は明治末期の神社統廃合の折、合祀されたものである。
なお古くは社殿は海浜にあったと伝えられるが再建の度に高所へ遷され、現在では力箭山の中腹に鎮座している。

【 最終 更新日時】2019/07/11 21:21:21