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参拝日:2022年3月27日 15:45
★★★★★ 参拝日:2018年11月11日 00:00
参拝日:2024年11月9日 10:39
参拝日:2024年11月1日 00:00
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住所 | 福岡県豊前市大字山内143番地 |
五畿八道 令制国 |
|
アクセス | |
御朱印授与時間 | |
電話番号 | 0979-88-2230 |
FAX番号 | 0979-88-2230 |
公式サイトURL | http://www.usobuki.org/ |
御祭神 | 応神天皇(おうじんてんのう)
仲哀天皇(ちゅうあいてんのう) 神功皇后(じんぐうこうごう) 武内宿禰(たけのうちのすくね) 天児屋根命(あめのこやねのみこと) |
創建・建立 | 仁寿2年(西暦852年) |
旧社格 | 郷社 |
由来 | 【社報 いぶき】嘯吹八幡神社 縁起
累代の社家である初山家の先祖、羽筈山(ハツヤマ)吉彦は遠祖を藤原氏とする人で、 奈良時代に大和の国に生まれました。 幼少の頃乳母に付き添われて、1寸8歩の金で作った弓矢八幡をお守りとし、縁故であった当時の大領、岩屋の荘司橘正輝という人を頼って九州に下ってまいりました。 吉彦は成人すると橘正輝の娘である吉姫と結婚し、子・吉将を授かりました。 文徳天皇の御代、仁寿(ニンジュ)2年(852)吉将の子である3代目羽筈山(ハツヤマ)吉武に、ある夜衣冠の神人(カムビト)が夢枕に立ちお告げを下されます。 『我は弓矢八幡なり。汝、我がために奉祠せよ。五穀豊穣の守護すべし。すみやかに宮居(ミヤドコロ)を定めよ。』 見れば弓矢八幡神は枕辺に扇を残し忽然として西南の山岳に飛び至り、車輪のごとき大光明を発しました。 吉武が夢から覚め枕辺を見れば、誠に一本の扇が残されております。 急いで夢に見た大光明を発した場所を探索すると弓矢八幡神が大きな楠の下、鷽鳥(ウソドリ)の声で嘯吹(ウソブ)いて『ここぞ、ここぞ。』と教えました。 吉武はその場所にお社を建て、嘯吹八幡神社として奉斎いたしました。 社名の「嘯吹」は「口をすぼめて息吹(イブ)きをすることにより、罪・穢れを吐き出し身心を清浄に保つ」という意味を持ちますが、この伝承が社名由来の一つとされております。 その後再び夢中で 『下河内村へ一宇を建立すべし。我湧き湯を除き田地の患いを 除くべし』とご神託を授かり湯之本(宝縁導・ホウエンドウ)の地に遷座致しました。 更に才尾にご鎮座の後、後鳥羽天皇の御代 文治元年(1185)にご神託を得て、この山内の地にお鎮まりになられました。 そして湯之本の旧社地へは須佐之男命(スサノオノミコト)を勧請(カンジョウ)して末社と定め、須佐神社をお祀り致しました。 江戸時代に入り小倉藩主小笠原氏の祈願所と定められて後、当社では盛んに諸祈願を 行いました。 境内に残る三蓋菱(サンガイビシ)の燈籠は、藩主の正室が病気平癒祈願の成就を感謝し、寄進されたものであります。 また大友宗麟(オオトモソウリン)来攻の折り、社蔵の『火吹面(ヒフキメン)』を境内にある神藤(カミフジ)へかけた処、大火炎を吹き出し、たちまち軍勢を追い返し、この由来をもって悪病退散の霊験ありと伝えられております。 幹回り2メートルの大木でありましたが、朽ちて現在の姿をとどめるに至っております。 |
神社・お寺情報 | |
例祭日 | 4月第2土曜・日曜日 春季大祭 10月13日 秋季大祭 |
神紋・寺紋 | 左三つ巴 |
更新情報 | 【
最終
更新者】龍太郎 【 最終 更新日時】2019/01/05 20:58:14 |