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基本情報
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| 住所 |
埼玉県秩父市下吉田1104 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
| アクセス |
|
| 御朱印授与時間 |
|
| 電話番号 |
0494-77-0233 |
| FAX番号 |
|
| 公式サイトURL |
|
| 御本尊 |
聖観世音菩薩 |
| 宗派 |
曹洞宗 |
| 創建・建立 |
不詳 |
| 由来 |
秩父札所三十三番菊水寺は、赤平川に沿った田んぼの間の道を行くと道端に石標があり、そこから参道がのびている。八重桜の並木が続く参道をすすむと「正大悲閣」の額を掲げた本堂(観音堂)が見えてきます。この寺の庭に「菊水の井」という名井があったことから寺名になったといいます。
本堂(観音堂)は、間口八間、入母屋造りで千鳥破風流れ向拝を付けたどっしりした構えの堂宇は、江戸時代後期の文政三年(1820年)の建立となります。内部は広い土間になっており、本尊を間近く拝めるようになっています。また、堂内土間の右側は納経所で頒布品の販売もこちらで行っています。
参道の入り口の寺号標には正面には「大桜山長福寺」とあり、その側面には「延命山菊水寺」と彫られています。かつて小坂下(こざかけ)と呼ばれた土地にあった菊水寺を管理していた別当が長福寺でありました。
「長享の番付」には、十七番菊水寺小坂下とあります。室町時代後期(戦国時代)の永禄十二年(1569年)の武田信玄の侵攻による「信玄焼き」で観音堂を焼かれたが、本尊は長福庵に難を避けました。その後の安土桃山時代の文禄元年(1592年)清泉寺六世長山賢道禅師により桜井部落にあった長福庵を転用して長福寺が創建されました。また、文政三年の本堂の建立に際して札所本尊である聖観世音が本尊とされました。
この像は檜材の一木造、彫眼で、全体的に安定感があり、顔立ちも端正で威厳がある。頭には菩薩の特色である宝冠をいただいており、製作年代は藤原時代(平安時代末期)のものです。昭和二十九年(1954年)三月四日に「菊水寺聖観音像き 1躯」として県指定文化財の彫刻部門指定第一号となっています。像高88cm。気品の高い心ひかれる逸品である。この仏像にまつわる多くの伝説も秘めて信仰をあつめています。また、別に本尊を模した聖観世音の立像があり、こちらは室町時代の作といわれています。
皆野から小鹿野への山沿いの道に、海抜三百八十メートルの「八人峠」があります。
その昔、菊水から現在の秩父市街地へ通ずるこの峠の山道に八人の盗賊が出没し、村人や往来の人を困らせていました。
はじめは一人であっが、いつの間にか八人となり、ますます悪事を働いていました。しかし、それを恐れた人々はいつしかその峠を「八人峠」と名付け、人の通行も自然と絶え、盗賊もその日の生活にも事欠くようになったといいます。
盗賊たちが通行人の来るのを待ちわびていたある日の事、ちょうどそこへ一人の旅の僧が通りかかった。
盗賊たちはいつものように僧が身につけている衣など持ち物一切ををはぎ取ろうとしました。ところが、僧は一向に恐れず、泰然として手に印を結んだ途端、金縛りにあったかのごとく全く身動き出来なくなってしまいました。
そして旅の僧は「盗みの罪はきわめて重いが、今ここに心を改めるなら仏の慈悲が下されよう。」というと金縛りを解きました。僧の戒めに、八人の盗賊は許しを請い「私たちをどうかあなたの弟子にしてください」と懇願しました。
すると僧は「今からでも遅くはない、刀を捨てて出家するがいい。この山の麓に菊水という村人さえも知らない霊泉がある、そこで身を清め精進するがいい」と言って三体の聖観音像を刻み、盗賊たちに与えて立ち去りました。
盗賊たちは早速霊泉につかり穢れた身を清め、そこに草庵を結び聖観音を安置して、峠を通る人々の安全を祈願しつつ仏道に精進したという。これが寺の草創であると伝えられている。
「菊水寺」の名の起こりは、この時の旅の僧が実は行基菩薩で菊水の霊泉を教え、山賊たちを改心させたということによります。
新編武藏風土記稿
秩父郡下吉田村
三十三番觀音 秩父三十四番札所內ナリ 小名小阪木下ニアリ 菊水寺ト云 除地四段一畝廿四步 正觀音木立像長三尺二寸行基作 阿彌陀木立像長二尺三寸惠心作 興ノ院正親音木坐像長七寸五分作ヲ傳ヘス 圓通傳ニ云 當寺ハ其昔八人峠ト云所ニアリ〔中畧〕畴昔此峠ニ賊住テ往來ノ人ヲ惱シケル 始ノ程ハ一人住リト聞ヘシカ 何ノ頃ヨリカ白浪ノ行衞知ラスカ打カサナリ 後ハ八人迄住テ橫道ノ擧動至ラスト云事ナシ 是ヨリ郡中ノ人怖テ往來モ絕果 所ノ名モ八人峠ト呼ナラハセリ 有ル時旅僧一人此所ニ來ル 盜賊トモウチエミテ 此程ハ往來モタヘテ得物ナカリツルニ 和僧ノ到來ニテ少心慰ス イテヤ此僧ニヨキ布施マイラセント 八人ノ賊ノ中ニ取込手ニ白刃ヲ閃シ已ニ衣ヲハキ取ントセシニ 僧ハ泰然トシテイサヽカモ怖レス手ニ祕印ヲ結ヒ給ヘハ 賊徒身體スクンテ動クコトアタハス 時ニ旅僧賊ニ向テ曰ク 汝罪業果極テ重ク障道尤深シ 故ニ佛祖具ニ說テ戒給ヘリ 落穗ヲ拾テモ露命ハ繋クヘシ 汝等愚昧ニシテ當來ノ業果ヲ知ラス 現ニハ王法ヲ犯ス 他ノ物ヲ盜取人ノ命ヲ取テ已カ一身ノ養トスルハ 酒食ヲ恣ニスル夢計ノ樂ヲ求メテナリ 其罪ノ報ハ未來永劫限リナキ苦ソカシ 少ノ榮花ヲ欲シテ後ノ世ハ有リヤ無シヤト心ニモ掛ケス 見ヨ汝等後ノ世ノ苦痛ヲ百千ニ分テ其一分ノ苦ヲ與フヘシ 未來ノ苦痛是ニテ思ヤルヘシトノ給フ 其時八人ノ盜賊七顚八倒シテ足ヲ空ニシ手ヲ握テ叫聲天地ニ響ク計リ 其苦痛タトヘ難シ 其時旅僧又祕印ヲ結ヒ加持シ給ヘハ 賊ハ夢ノサメ夕ル如ク茫然タリ 旅僧ノタマハク 汝等サテ懲リヨ 冥途ノ苦ノ百千ノ一ヲ得テタニ今ノ如シ 永劫ノ苦患如何思ヘルト示シタマヘハ 賊等首ヲ地ニツケテ願ハクハ 貴僧ノ御弟子トナラント乞フ 僧ノ曰ク 汝等往時ノ罪ヲ悔 後世ノ苦ヲ恐ル 則今ヨリ是善人也 屠刀ヲナケウチ立地ニ成佛トハ是此謂ナリ 善哉汝早ク出家スヘシ 但前ニ地獄ノ萬分カ一ノ苦ヲ見セシトイヘトモ 痛骨體ニ徹シタレハ轍ク其身合期シカタカルヘシ 此麓ニ福壽延命ノ菊水ト號ス靈泉アリ 未タ里人其德モ其號モシラテ 埋井ノ汲人モナキハ 時ノ至ラサレハナリ 急キ此水ヲ以テ浴セハ必ス身體健ニ壽命モ又永久成ヘシ 吾ハ是行基ナリトノ給ヘハ 賊等掌ヲ合セテ拜シ 吾々此麓ニ草庵ヲ結ヒ佛門ニ入テ罪障ヲ懺悔シ一生ヲ終ルヘシ 願クハ師ノ形見ト存シ奉レハ佛像一體彫刻シテ給ワリ候ハヽヤト餘儀ナル願ケレハ 行基イカヽ思ヒケシ觀自在ノ聖像三體マテ刻ミ給ヒ 此者トモニ與ヘ給ヒ 戒チ授ケ髮チ剃リ 汝等愼メヤ 制戒ニ背クコトナカレト出家ノ作法悉ク敎諭マシマシ別ヲ吿テ去リ給フ 賊徒御跡チ拜シテ本尊ヲ見奉レハ 三體ノ面容毫厘モ違ハス誠ニ凡人ニテハヲハセサリケリト 信心倍勇猛ニシテ草庵ヲ結テ本尊ヲ安置シ奉リ 恭敬禮拜シ奉 此所ヲ今杭伐峠ト云ハ 八人ノ賊僧トナリ假ニ御堂ヲ造リ杭ヲ伐タル所ナリトソ 亦菊水ノ井ヲ以テ浴シケレハ 敎ニタカハス無病堅固ノ身ト成リ 行ヒスマシテ各目出度終ヲ取リケルトソ 其後亦一人ノ僧此草菴ヲ移シテ今ノ御堂ノ地ニ住シ 朝夕此菊水ヲ以テ藥ヲ服スルニ 身體堅固ニシテ其容常ニ壯年ノ人ノ如シ 其來リ住シ甲子ヨリ計ルニサヘ今ハ八十年ニモ及ナン不思議ノ人ニテオハセリト 里人來テ其故ヲ問ニ 吾ニ他ノ術ナシ 唯朝夕此本尊ヲ念シ是ナル菊水ヲ以テ藥ヲ調ヘ服スルノミト 是ヨリ此菊水ノ奇特ヲ知ル 本尊ノ靈驗ヲモ知テ步ヲ運ヒ恭禮シ奉ケル 此僧後年此所ヲ去テ其行所ヲ知ラス 定テ神仙ナルヘシト云ヘリ 詠歌ニ曰 春ヤ夏冬モ盛ノ菊水寺秋ノ詠ニ送ル年月
菊水ノ井 堂ヨリ巽ノ方ニアリ 芭蕉塚 堂ニ向ヒ左ノ方ニアリ 寒菊ヤコヌカノカヽル臼ノハタ ト云芭蕉ノ吟詠ヲ彫リタル碑ヲ塚ノ上ニ立テリ
別當長福寺 延命山ト號ス 曹洞宗當村淸泉寺ノ末寺ナリ 前ノ觀音ヲ本尊トス 開山長山賢道元和二年七月十七日示寂ス |
| 神社・お寺情報 |
札所:秩父三十四観音・第33番
御詠歌:春や夏 冬もさかりの 菊水寺 秋のながめに おくる歳月 |
| 例祭日 |
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| 神紋・寺紋 |
菊水
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| 更新情報 |
【
最終
更新者】thonglor17
【
最終
更新日時】2026/05/31 08:09:03
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