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基本情報
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| 住所 |
埼玉県三郷市鷹野2-45 |
五畿八道 令制国 |
東海道 下総 |
| アクセス |
つくばエクスプレス線三郷中央 徒歩24分 |
| 御朱印授与時間 |
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| 電話番号 |
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| FAX番号 |
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| 公式サイトURL |
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| 御祭神 |
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| 創建・建立 |
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| 旧社格 |
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| 由来 |
境内碑
記念碑
長沼白山神社の由来
安土桃山時代に、当時沼地であった、この下総国戸ヶ崎郷の地域を先人たちが開拓開墾し、長沼部落が発祥したと思われる。延宝元年(一六七三)に戸ヶ崎村から分村し長沼村となり、更に元禄の頃、鎌倉村を分村した。東西六町(一町は一〇八メートル)南北七町 半、戸数は二十三戸と新編武蔵風土記に記されている。本神社は部落の鎮守として、部落の中心(この地より東の方向約二〇〇メートルの地)に、香取大明神、羽黒大権現と合祀して、願主白石茂兵衛ら十三名によって慶長十七年二月(一六一二)に建立され、部落の寺である正円寺の別当として維持管理を委託したことが棟札に記されている。白山神社の称号は、白山比咩神を崇拝する村民の白山信仰に起因すると思われる。またこの地域を白山耕地と呼ぶようにもなった。合社されている天神宮の石刻から、文化二年(一八〇六)に、稲荷大明神、天神宮が献納されたことが知られる。大正元年八月(一九一二)、法令により戸ヶ崎香取神社に合社される。大正四年(一九一五)、白山耕地から正円寺の前(この地より北東の方向、三十メートルの地)に遷宮され、遙拝所となった。戦後に分社独立し、建立より三八八年余り村民に崇拝されて来た。
遷宮、合社の経緯
昭和四十四年(一九六九)、国道二九八号の計画が発表されるとともに、氏子の総意で神社用地費、移転用費を賄うための積み立てを始めた。道路公団との交渉、移転先の選定など、関係者の尽力により、平成十一年十一月二十一日(一九九九)この地に遷宮するに至った。永い歴史を有する長沼白山神社の遺構は、社殿の彫刻を始め、境内の松など、その多くを、新社殿建立に際し残すことができた。税制等の変革に伴い、神域の維持を個人に依存することが次第に困難となった。戸ヶ崎香取神社のご理解により、平成十二年六月(二〇〇〇)香取神社の飛地境内地とした。遷宮、合社を記念してここにその経緯を記す。
平成十二年六月吉日
長沼白山神社建設委員会 |
| 神社・お寺情報 |
社頭掲示
境内の神社
白山神社
縁結びの神、白山比咩神を祀る。本社は石川県鶴来町に鎮座。
香取大明神
武道の神、経津主命を祀る。本社は千葉県佐原市に鎮座。
羽黒大権現
歯の神、伊氏波神を祀る。本社は山形県羽黒町に鎮座。
天神宮
学問の神、菅原道真を祀る。
本社は福岡県太宰府天満宮、京都府北野天満宮に鎮座。
稲荷大明神
五穀豊穣、商売の神、宇迦之御魂命を祀る。
本社は京都府伏見市に鎮座。
長沼白山神社 年間行事
初詣
元旦 零時から三時までの間、破魔矢、お守りの授与。
御備射祭(本来は、的に矢を射て農作物のできを占うお祭り。)
一月第二土曜日 氏子の五穀豊穣と繁栄、諸安全祈願をおこなう。
宮薙 (神社を清掃し祝祭すること。)
六月第二土曜日 境内の草取りおよび清掃
御日待祭(前の晩から日の出を待つ事から御日待と呼ばれる。)
十月第三金曜日 宵宮祭(祭りの前日に行う小祭り。)
十月第三土曜日 祭礼 氏子の五穀豊穣と繁栄、諸安全祈願をおこなう
平成三十年十月吉日
長沼白山神社 |
| 例祭日 |
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| 神紋・寺紋 |
未登録
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| 更新情報 |
【
最終
更新者】thonglor17
【
最終
更新日時】2025/12/29 10:58:34
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