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基本情報
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住所 |
神奈川県川崎市多摩区東生田1-27-1 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス |
小田急小田原線向ヶ丘遊園 徒歩8分 |
御朱印授与時間 |
|
電話番号 |
0449324835 |
FAX番号 |
0449325165 |
公式サイトURL |
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御本尊 |
十界曼荼羅 |
宗派 |
日蓮宗 |
創建・建立 |
建久年間(1190~1198年) |
由来 |
鎌倉時代初期、源頼朝から稲毛領を拝領した稲毛重成は枡形山頂に枡形城を築き居城とした。その際、重臣・佐伯民部吉春は枡形山の隣山一帯を与えられて居館を構え、邸内に持仏堂たる釈迦堂を建立した。寺伝では、‟飯室の釈迦堂”と呼ばれたこの持仏堂を以ってその淵源としている。時が下り弘治2年(1556年)に、佐伯隼人吉行が法華宗に改宗し釈迦堂を法華信仰の道場とした。その後、天正6年(1578年)10月13日に佐伯六左衛門吉連が釈迦堂を改めて伽藍と成し、摩訶院日等を開山に迎えて淨言山安立寺と称した。なお、山号は元禄4年(1691年)以降に淨言山から法言山に改められている。 |
神社・お寺情報 |
准西国稲毛三十三観音・第9番札所
本堂
釈迦堂を伽藍に改めてから6年後の天正12年(1584年)に一度修繕される。現在の本堂は安永7年(1778年)に再建された当時のもので、間口七間・奥行六間である。[4] その後、昭和29年(1954年)10月に茅から瓦に葺き替えられ、同50年(1975年)8月には格天井の修理が施される。本尊は立体の十界曼荼羅で、その他には准西国稲毛三十三所観音の一である正観世音菩薩が安置されている。この正観世音菩薩は秘仏で12年に一度午年に開帳される。なお『新編武蔵風土記稿』に拠れば、当時本堂の他に二間四面の七面堂と番神堂があったとされているが、現在両堂は無く尊像は庚申堂にて安置されている。
庚申堂
主尊は帝釈天(尊像は庚申信仰の本尊である青面金剛明王像)。寺伝に拠れば、建久年間(1190~1198年)に佐伯民部吉春が稲毛重成より授かり釈迦堂に安置したものとされている。江戸時代から“登戸の帝釈天”として親しまれ[5]、堂宇横には吉原の幇間と推察される桜川ぼたんが明治33年に奉納した手水盤がある。その他、七面大明神・三十番神・鬼子母神・大黒天・毘沙門天(武州稲毛七福神の一)・金色大天女等が安置されている。
長森稲荷社
開基檀越・佐伯家の敷地内に勧請されており、『新編武蔵風土記稿』及び『江戸名所図会』には詳しくその縁起が記されている。
武州稲毛七福神(毘沙門天) |
例祭日 |
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神紋・寺紋 |
三つ鱗
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更新情報 |
【
最終
更新者】atsushi
【
最終
更新日時】2019/12/21 13:45:35
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